できて当然と思った時は自分が凄い可能性を疑ってみたい
Summer498.icon
こういうのはやって当然だと思っているが、やらない人が多い印象がある
自分の直感と相手の直感を分離して話す
周りの人間の怠慢に見える
→こういう時はSummer498.iconの能力が高い可能性が視野に入る
やって当然(心がけ)の手前の、できて当然(能力)が前提にある
Summer498.iconは(当然自分もできるし)周りの人間もできて当然と思っているが、
こういうときほど単に自分が凄いだけの可能性を疑ったほうが良い
当然自分もできるしのところを疑う道もあるが、(以前はよくやっていたものの)あまり事態が良い方向に進まない
まあ、認識が変わったところで、ここで従が従の世界観のまま喋ると鬱陶しくなるが解決するわけでは無いが
鬱陶しいなと思ったときに、相手の怠慢ではなく相手の能力不足を疑って許容範囲が広がるというのはある
自分の能力への過信は良くないとはよく言われるものの、
自分の能力への不信、周りの能力への過信、周りの能力への不信も同じくらい良くない
それはそうとして能力不足に気づかないのも問題だ
会話中に「なんでそうなるの?」となったのを思い返して、
とりあえず、「私のXXに問題があるのだろうか?」と疑ってみるも、さしたる問題点は見当たらず
最終的に「相手のYYが不足しているのではないか」と言う感じに落ち着く
で、「それならそうと最初から言ってよ!」という、まあまあ理不尽目な要望が湧いてくる
それができれば苦労はネェ
逆に自分と相手が入れ替わってこの構図が成立する場合も当然ありうる
そういうときに相手が「それならそうと最初から言ってよ!」ってなったら気持ちが大いにわかる
私が他人に要求する時は「まあまあ理不尽目な要望だな」と思うが、
他人が私に訴えかけるシチュエーションを想像すると
「スマンやで。YYの不足に今気づいたんや。また一つ賢くなった。
気づきを与えてくれてありがとう」
でいいなと思ったので、理不尽な要望という感じはしない
taktamur.icon
自分ができない事を人がやってると「すごい」とすぐに認識できるのだけど、自分ができる事を人がやっていないと「なんでやらないの?」とまず思ってしまうのはあるある。
まずは自分の認識の範疇で世界を理解しようとする脳みその癖のように思う
自分の認識の範疇 = 「自分の出来ることは普通の事なので、他の人もできるんだろう」 Gattxxa.icon
↑わかる