たなばたのと渡る舟の梶の葉にいく秋かきつ露のたまづさ
藤原俊成(皇太后宮大夫俊成)
新古今和歌集-秋上-320
七夕題なので秋の最初の方にあるqwerty1234.icon
露には涙が隠れていそう
前:たなばたの衣のつまはこころして吹きなかへしそ秋の初風
後:ながむればころもですずしひさかたの天の河原の秋の夕ぐれ
七夕のと
と、はたぶん「門」。由良の門を わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 戀の道かなを思い出すといい。qwerty1234.icon
河口と海が巡り合う場所らしいがもうちょい見たい
https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1207/
七夕から牽牛と織女の伝説がまず浮かぶ、その二人を分かつ天の川も。
とわたる船の梶の葉に
その天の川を渡る船の梶
平安時代の船旅とはひどく頼りなく、転覆や海賊などのおそれがあった。土佐日記など参照。
歌で言えば上の由良の門のように、頼りなさを恋や愛の行方に例えるものがある。
梶はおそらく底本においては「かぢ」表記であろうと思う(凡例をみたい)。「梶の葉」と船の「舵」の掛詞。
俊成の言葉の連なりをみよ、七夕、牽牛織女、天の川、その船旅、舵、梶の葉と関連のある言葉で構成されているその流れ、ゆらぎを見たい。
こんなんも万葉にあるらしいqwerty1234.icon
我が背子にうら恋ひをれば天の川 夜船漕ぐなる梶の音聞こゆ(万葉第10巻 2015)
梶の葉
https://andpremium.jp/column/mitate/mitate-2/#page-2
七夕の行事においてきっこうてん(乞巧奠)がある。ここでは梶の葉に和歌などを書いたそうである。すなわち縁語だ。
織豊の頃の後水尾院當時年中行事〕〈上七月〉に以下の記述(古事類苑より)。もっと適切な記述があげられると思う。qwerty1234.icon
https://gyazo.com/bdfe9d8fa3de2e05017df045309a2ce0
いく秋かきつ露のたまづさ
その梶の葉に何を書いていたのか?ここは言わずもがなで明示されない。
幾秋書きつ、とでもなるか。何回秋に書いただろうか。何を?ここまでの言葉が、秋に置く露が、その結果をも暗示している。
(この言わずもがなをもう少し出すと恋歌に採録されるのではないかと思う、が、そうなったら露骨が過ぎて台無しになりそう。)qwerty1234.icon
四季歌に配されていることの意味合いというのを想像してもおもしろい
素人目で思ったのが、「いく秋か来つ」もあるかも?と読んだイタロー.icon
(手紙の)返事を待っていくど秋が来たんだろ、みたいな?
五句の露の玉章とそぐわないようにかんじるqwerty1234.icon
玉章があるので(?)手紙はあるだろう=返事は来ているだろう
なるほど~たしかに「来つ」も含めちゃうと、解釈が増えすぎちゃってキツいイタロー.icon
手紙を何度も送ったとか、消息をもらってどれだけたったかとか云々
この手紙のやりとりのうらになかなか会えない、という七夕伝説の話をそれとなく察せるqwerty1234.icon
玉章
たまづさは手紙、消息のこと。
たまづさの〜枕詞の歌は万葉集に多いようだ。和歌での用例はもう少し精査したい。qwerty1234.icon
俊成すげ〜(ひどい感想)qwerty1234.iconイタロー.icon
詞書を見るとシチュエーションがわかるので理解の助けになって良い