AIが絵を描く
日記ページに様々な感想が記載されているので、このページに集約し、必要に応じて構造化する
NovelAIのリークの記事の感想
nomadoor.icon
AIを批判すること自体ナンセンスなので使えばいいと思っている派 なのに使うことに抵抗を感じてしまうのはなぜか?
新しいものへの拒否感ではなく、別の人間が作ったものが自分の作品に紛れ込んでくることへの不快感
フリー素材やアセットでも感じるのでAIがどうこうという話ではない
イメージで判断してはならぬだろうということで、NovelAIを軽く触った 当然ながらStable Diffusionの血を引いているので工夫でどうにもならないラインがある
これを使いこなそうと頑張っているうちに、次の技術革新がきそうなのでそこまで時間を使うべきかどうか…🤔
逆に未熟なAIで作品を作れる最後のチャンスかもしれない
NovelAIがすごい
nomadoor.icon
イラスト寄りの絵を描いていたら絶望していたかもしれない
自分の脳内を具現化するにはまだ少し足りない
Stable Diffusionはガチャというより、Pinterestで参考になりそうなデザインを探している感覚に近い気がする AIでイラストを描くことと自力で描くことの違い
Mijinko_SD.icon
AIでイラスト描いても、そのイラストを作った個人のブランド力が上がるわけではないっていう点では、個人が自力で描いた絵とは変わってくるのかな 個人的に、「AIすごい!」はすごいわかるんだけど、AIで絵を描いている人を追いかけようって気持ちにはならないんだよなぁ
その絵を作るモチベーションになった作者の性癖好みとか、そういう共感できる要素が無いとただの下手じゃない絵としか見れないというか 言語化して思ったけれど、絵を見る時って案外作者の人間性も見ているということに気づいた 個人的な好みでは、何を伝えたいのかがぱっと見でわからない絵(考察リプがめちゃくちゃ送られている絵とか)は好きじゃないので、そういうことなんだろうな プロンプトに性癖を込めるとか…yosider.icon
細かい特徴までしっかり指定できて、構図もその特徴を引き出せるようなものになるならいいんですが…Mijinko_SD.icon
同感です。作者の「ここを見てくれ!」っていうこだわりを見るのが好きなのですが、そのこだわりを表現するには既存のAI絵画が未熟、あるいはそういうこだわりのない絵が大量にでてきた、という印象がありますshoya140.icon
AI単体で出力する人はそもそもここをみてくれというこだわりを表現できる技術を有していない人が多いと思うので、作っている人が違うかも?基素.icon
です! (後者はその意でした) shoya140.icon
+1基素.icon
現状だと、AI絵とイラストレーターの絵はどうやっても同一視できる気がしない
素材としてAI絵を活用している人は別
テーマ展に対してはキュレーターとして振る舞っている。「キュレーターは価値創造してる」というところを否定すると世の中のキュレーターを敵に回すので否定できなかろう、というロジックでAIの出力が誰の著作物かと無関係に「僕がキュレーションをする」というところに価値を主張している。
個別の画像ページでは僕が著作者だと宣言している。
nishio.iconさんが猫の絵をさまざまな画風で作っているのが良い例にみえる
まだ「自分にとっては未知だったがこの画風はいいな」が発生しているフェーズなので、探索のためにバリエーション多めにしている
そろそろインスタのフォロワーも500人に到達するし「自分好みの画像を生成する」と「世間に受けそうな画像を生成する」を並列してもいいかもなとも思う
ブランドを感じるトップ層はAIを使ったとしてもAIAIした絵を出すメリット全然ないですよね基素.icon SNS作家ヒエラルキーの中堅から下位層への影響が大きい
作家性はないがある程度手が早いので売っている人(こういう人は一般消費者に認知されることはなかなかない。SNSフォロワー数百とか数千レベルの人。でも実務ではしっかり働いてる)のやり方が結構変わりそうだなと思っています
割とすぐ見分けがつかなくなると思うんですよね…nomadoor.icon
と思ったけど、買った服が日本で作られたか中国で作られたかなんてタグで判別するしかないのか
AIでイラストを描くことを活用したい
基素.icon
AIイラスト、みんな嫌っているように見えるけど、ちゃんと活用したい
使いこなせば武器になり、使いこなせないかつ自分の職能と被っていたら苦しい戦いになる技術。1. 使いこなすか 2. 使わせないようなロビーングしか道はない。1を選ぶ。
Twitterでは嫌っている表明が観測範囲で多いから、絵描きは興味あると発言することを控えていると思う
実際周りの絵描きと話していると研究していてもツイートはしていない
どこかの時点で「いきなり」ポジティブ活用の流れになると思う
実際にはいきなりではなく今裏で研究しているはず。表面上いきなりに見える
nishio.icon
プロの漫画家あたりが「これは便利」と言い出して世論がガラリと変わると思っている
これが起こるとAIはなんでもダメ、から「工夫すればいいのでは」に軟化してその後は使ったからといってそれだけで何か騒がれることはないようになっていくと思います基素.icon
特化したデータでファインチューニングするだけでNovelAI的な成果を得られるってことが誰の目にも明らかになったわけなので、現在進行形で「パクリだなんどと叩かれずに安心して使えるデータでファインチューニングしたモデル」が作られてると思う
それができれば漫画家が「使ってる」と表明することにリスクがなくなる
安価で提供する代わりに使ってると表明してくれというバーターが行われる
どこがやってくるかはわからないが、個人的にはDMM内にトップの鶴の一声でプロジェクトチームが作られてるんじゃないかと予想してる
このあたりかなと予想しています基素.icon
デジ絵プラットフォーマー
pixiv、 DMM、 エイシス
出版プラットフォーマー
集英社、講談社、KADOKAWA
投稿時の利用規約に「AIでの学習を許諾する」って条項がしれっと追加されるかもしれない
これは賢いと思ったinajob.icon
一応元絵も僕の作画途中の物です
https://gyazo.com/87cabda64c547caab25b94de1a134945
AIにアドバイスを求めている感じ?
img2imgで改善提案をAIに求める使い方
これは実際に触って有効な活用法の一つだと思います基素.icon
promptは出力を安定させるのがかなり難しいのでまた別の使い所になる
この方法ならAIを使っても作家性は出せる基素.icon
少し違う絵を比較して、差分を把握して、それの意味や効果を把握する、という学び方に良さそうmiyamonz.icon
考えた上で要らないなら捨てればいい
比較対象となる例をAIがバンバン作ってくれる
こんな感じのワークフローですね基素.icon
絵が描けない人のためのAI
sta.icon
絵
僕は良い傾向だと思った
終わりじゃなくて始まりだと思った
が、絵で食べている当事者達は堪ったものじゃなさそうってのもわかる
想像力が乏しいだけかもしれない
僕は絵を描けないが、小説よりは絵の方が訴求しやすいので描きたい
が、自分で練習するほどのモチベはない
NovelAIみたいなツールが、なろう系マンガを一人で描けるレベルで発展してくれるとありがたいなぁと期待している
(正直言えばもっと絵描き界隈をかき乱して面白い何かを見せてほしいという(歪んだ?)思いもある……)
一方で、別に大して何とも思わないのは絵に対する興味?執着?が薄いからかもしれないと思った
ラノベの挿絵も秒で読み飛ばしたりするし
表紙に惹かれる、はあるけど結局タイトルとあらすじで判断する
有名なイラストとか見ても「はー、綺麗ですね」くらいの感想で終わったりする
なんていうか、絵に対してどう考えているかを改めて考えさせられる
芸術を理解できない(理解する何かがない)との関係があったりするのだろうか
絵は芸術の一種なのか
芸術ってなんだっけ
ああ、深みにハマっていく~
すでにAIが描いた絵か人が描いた絵かを素人が区別できなくなっている
どっちがAIなのか区別がつかない
あ、どっちもAIで元絵は載せてない可能性もある
ちょっと悔しいかもしれないsta.icon
絵の違いを理解できる側の人間になりたさ
確信度99.9%で左がNovelAIですね(右だったらかなりびっくりする)基素.icon
なるほど(わからないw)sta.icon
右の方がリアルってのはわかる
NovelAIっぽいというのはわかるけど、別種のAIが出てきたら同じくらいのクオリティでも分からなくなりそうinajob.icon
wogikaze.icon
まだ手とか細部は違和感が多かったりするけれど全体的に見たときに、すでにいい絵だと感じれるレベルの絵がバンバンでている
よく考えたら会話においてもGoogleが開発してるやつ(このAIには感情があるといって開発者が解雇されたやつ)はすでに人間が話しているかどうか判別できなかったな
AI絵に対する嫌悪感・抵抗
複数の感想にこのワードが出ているinajob.icon
AI絵と人が描いた絵を直接比較するのが何か違う気がする
AIで実験してる人がアンチに燃やされる(?)事例も基素.icon
AIが絵を描くことの今後
inajob.icon
過去の技術革新の例で考える
絵画と写真
絵画は残っているが、写真にかなりの部分の需要を取られてしまった感
写真にできない印象派的表現が模索された基素.icon 写真が19世紀に発明され普及し始めた頃と時を同じくして、絵画は印象派をひとつの起点として、それまでの伝統的な表現から大きな変革を繰り返し、そのモチベーションには写真の存在が少なからずありました。
他方写真は19世紀半ばの誕生の頃より、美術作品として、記録的な目的ではない絵画的な表現が模索され、その意識はその後も現代に至るまで綿々と続いています
本稿は、1839年に最初の写真が発表され、まだ10年程度しか経過していない時期に発行されたこの写真専門誌『ラ・リュミエール』を中心に読み解き、まだ写真という概念が今日のように定まっていな かった写真の黎明期に、その技術の定義すら不明瞭な写真の芸術性に関する議論がいかに展開されていたかを考察するものである。
写真により場面を記録することに対する裾野が広がったように思う
馬と自動車
運輸の面では馬はほぼ自動車に切り替わってしまっている
輸送の目的では前提が揃えば車になりますが、絵は結構事情が違うように思います基素.icon
「一定品質をたくさん出す」のが価値になる領域もある
消費者が認知できない領域での仕事
プランナーの指示でいくつかデザイナーがバリエーションを出すとか
アニメで指定されたキャラをたくさん書くとか
尊ばれる作家性は平均ではなく外れ値で、他とは違うこと もう少し新しい例
ナレーションと合成音声
公共交通機関でも合成音声普通に使われている。打ち込めば出る(=すぐに・なんでも言ってくれる)のが価値基素.icon
ボーカロイドと肉声
進化
もう肉声とわからない使い所がある基素.icon
grepとGoogle検索
こっちの方が例としてよさそう
完全な代替とはなっていないが、活用の場面がある、それならではの活用法がある
これらもそのうち過去の技術を食いつぶしてしまうのか?
AI絵の今後の活用の予想
今の絵を描く事の延長としての使い方
AI絵を少し加筆修正して絵として使う
人が絵を描く際のガイドとする
AI絵ならではの使い方
全く絵を描けない人が取り急ぎで絵を用意する
デザインの指示?
文字しかないブログ・プレゼンの挿絵
モンタージュ
飽きるという表現が新鮮だったtakker.icon
今まったく同じ感想ですねnomadoor.icon
胃が破裂してそう()takker.icon
1日3食を2週間継続のほうが現実的でわかりやすそう
なろう系の捉え方との相関がありそうだと思ったsta.icon
なろう系は「ワンパで飽きる」という人と、毎日ジャンクフード食べるみたいに飽きずに楽しめる人がいる 前者のは人は、AIにも飽きる(飽きやすい)のかもしれないなと