2024/02/07
第6週: 日月火水木金土
2024年 10.38%経過
今日のn年前
基素.icon
オープニングの10秒が良すぎる
https://www.youtube.com/watch?v=UvkgmyfMPks
全然関係ないけどスケボーで危なげなく走り去っていけるようになりたいはるひ.icon
マーティ!基素.icon
ここも制限のうちなのか〜
https://gyazo.com/89c8efe73c975cb5b6bc034e0dd3b7c8
GPT Builderの制限はGPT-4の制限よりも厳しくすぐに引っ掛かる!wogikaze.icon
別枠なんだ基素.icon
Hyou.icon
うぃ
破竹の勢い何やっても重要な人生のルートよりによって2バース目これ気づいたかなスーパープレイ
破竹(8*9)の勢い|何(72)やっても|重要(14)な|
人生のルート(√)よ(4)りによって(√4)2バース目(√4→2)
いいね基素.icon
散歩、公園とあぜ道どちらがいいだろう。
大量に油を摂取したい気分だ。
唐揚げをもってこい
イタロー.icon
招待制じゃなくなった?
今日たくさんフォローされてますinajob.icon
takker.icon
ちょっとだけ早く起きれた
全然聞き取れなかった
スコア半分未満だった
お疲れ様ですunami.icon
meganii.icon
雪が空の汚れを落としたかのごとフィルター越しに吐き出された青
水曜日目醒めとともに耳にした『よふかしのうた』もう聞こえない
kidooom.icon
知らん人にも挨拶していくテンションは好き
はるひ.icon
知らん人におはよう!って挨拶されたっぽいがおはようございますって返しておいたが超ローテンションで訝しげなおはようございますになってしまったがあれは俺が言われたのか?
スケボーのジャンプは地形をうまく利用するか然るべき地形でしないとしょぼい
blu3mo.icon
「ドラゴン vs 確定申告」とか「現実とは真実である vs 現実とは神である」とか
自分が作った仕組みで人々が遊んでくれた結果面白いものが生まれるの、とても嬉しい・楽しい
nishio.icon
もしかするとAIアシストに盛大にミスリードされてるかもしれない
サーバサイドでSVGをレンダリングするのは茨の道説
画像にされるとコピペできないなーinajob.icon
画像が決め打ちサイズっぽいので、自分なら画像にオーバーレイするようにposition:absoluteとかでdivを重ねるかなinajob.icon
いや、今作ってるのはSNS用のOGP Imageなので画像にするのは大前提nishio.icon
SVG自体にforeignObjectでdivを埋め込めるんだけど、それをサーバサイドでレンダリングしようとしたら表示されなくて、これじゃダメかーとなってるところ
あー、OGPかinajob.icon
自分もOGP生成用に画像にテキストを入れ込むツールを自作したな・・
みんなどうしているのだろう
何も考えずSVGからPNGとかが生成できると嬉しい
それができそうなことをAIがいうので信じたらハマったwnishio.icon
SVGでOGP設定できない?bsahd.icon
yuta0801.iconさんがrustでsvg をpngにするコードを書いてた
GPT4と話してるとこのテーマに関する多種多様な勘違いが明確化されて面白い
人間の認知の面白さの話としてひと段落してから整理したい
月曜に週記の切り替えを忘れてることに気づいたのにそのまま切り替えを忘れたことに気づいた
足元がおぼつかない高齢者にも、優しく接される人と冷たく接される人がいる
それはその人がかつて「俺は強いんだぞ、従え」というムーブをしていたかどうかによるのではないか
「俺は強い」と主張してた人が弱くなった時には冷たく接される
将来自分もそういうふうに接してほしいので、無差別に親切にしているケースもありそうinajob.icon
整理しようと思って整理しきれてない雑談メモ
ピラミッドの土台が見えないと楽に見える
レピュテーションをリスクに晒してまで金銭を得たくない人がいる
会社の外から知識を獲得する役割
市場調達困難な人材をつなぎとめる費用
エンジニアリングコストと財布の中のお金
若者を一つのテーマにロックインすることの弊害
店舗型マダミスを体験に来ている
色々面白いことがあったんだけど疲れてて整理する精神的パワーがない
週記も切り替えてない
後で辿れるようにTwitterのリンクだけ貼っとこう
なんで自分のことを他人事みたいに書くのか、不思議
自分が乖離してるからか
スーパーバイザーの僕が「参加することが有益ですね」で予定をぶっ込んで、物理アバターの僕が「えー、また予定入れてあるー」という気持ちで参加する
活動しようという気持ちになる元気がない
そんな時でも届いた100分名著の太字の見出しだけ読むことはできた、すごい
100分名著をストックしておくと生産的なことができてない気持ちになった時に読むことで心安らかになれるかもしれない
冷静に考えて知らない人が8人いる密室に5時間居て、自分が犯人だとバレないように振る舞う必要があったので疲れたんだよな
社交バッテリー
この種のゲーム、20代の自分が楽しめたかどうか少し疑問に思った
Twitterで「ADHDの人の前頭葉は40歳くらいまで成長する」みたいな投稿を見た、本当かどうかは知らない
成長して楽しめるようになったのかもしれない
マダミスの宣伝ツイート怒られてしまった
予想以上にセンシティブラインが深かった
久住哲.icon{
Vtuberの轟はじめさんのダンスについてのアドバイス
自分とトレーナーの形の違いを知れ、みたいなことをおっしゃっていた。
そのとき「自分の動きのなかでキモい部分を知る」みたいなこともおっしゃってた。 どこがキモいのか、自分のポーズの、どこがキモいのかを、ちゃんと……違いを分かれば、あとはそこに近づくための基礎トレをするだけなので
この「キモい」っていう言語化が面白いと思った
自分と他人の違いを知るという俯瞰的な操作が、「キモい」っていう感情的なものによって導かれているから
面白いmtane0412.icon
その営為がだるくなってくじけてしまう(元ダンスラガチ勢)sta.icon モテるためにそこまで外見整えなあかんのだるいわと同じ心理
重箱の隅をつつくかのような細かい違いの把握と微修正の繰り返し……
狂ってる。頭沸いてます
(一方で僕も100万文字越えるラノベ書いて何度も一字一句校正したりしてるので結局何に心惹かれるか次第か。俺はダンスという営為には惹かれなかった。それだけのことだ)
あと僕みたいに「いや俺こそがかっこいいじゃん」というナルシがあるとどうにもならない
風来のシレンとカントの定言命法/仮言命法
最近風来のシレンの新作が出たが、自分はシリーズそんなにやってないけど、一部のタイトルについてはかなりやり込んだ経験がある。その自分が、風来のシレンの初見プレイを見ると、〈自分なら絶対にやらないプレイ〉を目にして、「そんなことをするなんて」と思う。これで自分が生配信を見ていて、かつ自制が効かなければ、指示厨に堕すだろう。昔、ドグマ風見さんが風来のシレン配信の指示厨関連のトラウマについて語っていたが、あのシリーズは指示厨が出やすいのかもしれない。ところで、そういう〈自分なら絶対にやらないプレイ〉の結果はどうなったかを冷静に評価すると、それで上手くいった例も多くあった。自分がシレンを何百回もやって培ってきた「風来のシレンのマイルール集」に合うか違反するかということと、実際にプレイが上手くいくかどうかとの間には、当然ながらズレがある。また、自分がこれまで考慮してこなかったことについて初見プレイの人が考慮しており、かつその考慮が有効であることもままある。そして、マイルールに沿ってプレイすることがゲームの目的ではない。それらのルールは、リスクを最小限にするために(頭のなかで)作られてきたものであるが、ゲームの目的はリスクを減らすことではなく、クリアすることだ。基本的には。閑話休題。〈自分なら絶対にしないプレイ〉を見ると、「ありえない」と思うが、これは「キモい」に通じるところがあると思う。実際、「キモいプレイしてんなあ」みたいな言葉は見る。(褒め言葉の場合もある。上手すぎて「キモすぎw」みたいな) おそらくマイクラも同じsta.icon
マイクラ、家の見かけにこだわって四角い家を「豆腐建築」と揶揄する人がいるnishio.icon 僕はベッドを最小限の箱で囲った家しか作らない派
一方で畑は水流自動収穫を建設します
豆腐からどう脱却すればいいのかいまいち検討がつかないはるひ.icon
まあ色々やってみればいいんだろうけどそれもめんどくさい
マイクラの建築、めんどい
よさげな建築物の写真から再現するとかyosider.icon
冒険勢になると囲いすらつくらなくなる(MOBいても・来てもその場で対処できるPSがある)sta.icon
シレンの場合、「マイルール」が身体化される。つまり、感覚が身につく。シレンだけではないけど。そんななかで、うっかり「マイルール」に違反した行為をしてしまうと、「やばい」とか「なにしてんだ」という緊張や後悔の感情が湧くことになる。そして、「マイルール」に違反していないのに死んだ場合には、「これはしかたがない」と思う。例えば、おにぎりが全然落ちていないときとか。それで死んでもしかたがないが、草がまだあるのにそれを飲まなかったと気づいた場合、「草あるじゃん。自分なにしてんだ」と思う。これと同じ感情を他人に適用すると「草あるのになんで使わねーんだ」という指示厨になる。この態度は、自分でも他人でも、完璧を求める態度だが、この完璧さの完全性は、「ルール」の完全性に依存する。「完全性」というのは、中世〜近代哲学の用語で、ほぼ事象性に等しい。現代だと「神にも近しい完全性を得た」みたいな台詞があるかもしれないが、その神というのが、「最も完全性の多い」存在だとされる。もしも初見プレイの配信者にシレンの知識が少ない場合、「まだ草があったじゃん」というコメントを見た配信者が「え?草でも満腹度回復するの?」と学びを得るだろう。この場合、「プレイルール」を構成するところの基礎知識が足りず、それは「不完全」だと言われる。中世的な言葉遣いで言えば、「完全性が少ない」となるだろう。プレイを重ねるなかで、どこかの時点で「基本的なルール」の学習が終了する。いわば説明書に書いてあることの全てを学び終わる。例えば、杖の魔法弾は必中だが杖を投げた場合には外れる可能性がある、といった知識たちだ。あるいは、ルールは全てその「基本的なルール」に集約されるのかもしれない。(そういうルールではないマイルールというのは、例えば、〈ダンジョンは時計回りで攻略する〉とか。ちなみに、リスナーが配信者にこの「マイルール」を押し付けるようなコメントを連投した場合、それは指示厨とも違うなんだかおかしな人と見なされるだろう。) あー久住哲.iconそっか。上の文章だと「マイルール」には2つの意味がある。すでに存在する知識の集合に自分(マイ)がどれだけ順応できたかという成果としての「マイルール」と、単なる自分のやり方としての「マイルール」と。おそらく、一般的には、後者が「マイルール」と呼ばれるかな。
でも、〈ゲームの仕組みに順応する〉って「ゲームのルール」とも違う。
「次の1手を間違えると死ぬ可能性があるが、杖を振るか、草を投げるか」という場面で、(その後のアイテムマネジメントのことを一切考えない場合)必ず当たる杖を振ろうという行動の選択は、たしかに〈杖の魔法弾は必中である〉というゲームの仕組みに順応した判断だが、そのように判断し行動することは〈ルールに従うこと〉ではない。しかし、ある種の人(臆病な人)にとっては、そういう場面で杖を使わないことがありえない、としよう。配信のコメント欄でもみかけることがある。リスクを取る(杖を温存して草を消費する)ことをありえないプレイだと見なす人はいる。それはそれで、その人のプレイスタイル。だが、それは前者の意味での「マイルール」ではなく後者の意味での「マイルール」なのではないか。すなわち、〈ダンジョンは時計回りに攻略する〉と〈死ぬ可能性のある場面では杖を振る・草を投げない〉と、この2つの格率は同じ範疇ではないか。
〈杖が必中だと知らず、杖が必ず当たるかどうか不安になり、草を投げるか杖を振るか迷う〉という状態は、客観的に無知であり、「なぜ迷う?」「杖が外れたらどうする」「杖は外れないよ」「そうなの?じゃあ杖一択じゃん」というやり取りを経ての学習がありえる。いっぽう、〈杖が必中だと知っているが、草を投げるか杖を振るか迷う〉の場合、「なぜ迷う?」「この杖は温存しておきたい」「草が外れたら死ぬで」「でも……」「杖一択だろ」というやり取りは、さきほどの学習とは違う。杖で100%危機を脱せられると知りながらも、だからこそその重要な杖をもっと避けがたい危険状態のためにとっておき、今の危機的状況については運で切り抜けるという判断はぜんぜんありだ。そんななか、草を投げて外れて、「だから言ったじゃん」というコメントがあったとしても、このことはべつに、〈そういう危機的状況になったら草を投げるべきじゃない〉ということの学びがあったわけではない。あるいは、そのように学んだ場合、その人は新しい「自分だけのルール」を作りはしたが、客観的かつ理性的に可能な選択の範囲を保持しない。すなわち、〈外れるかもしれないが通常攻撃をする〉とか〈外れるかもしれないが草を投げる〉とかいう、ゲーム自体が提供してくれているプレイ可能性が放棄される。
1. ゲームの仕組みにたいして無知でありつづける自由。
2. ゲームの仕組みを知ったうえで、意地になって、その仕組みを考慮しない自由。
3. ゲームの仕組みを知ったうえで、リスクをとる自由。
4. ゲームの仕組みを知った上で、縛りプレイとして、その仕組みを無視する自由。
なお順不同
買い物縛りプレイをしている配信者に「店で買物できますよ!」とか「お金もったいない!次の町で良い武器売ってるのに!」とかコメントをする場合、そのリスナーは配信のコンセプトが分かっていないことになる。だが、初見プレイでそもそも店の存在を知らず、コメントでそれを知ったが、そのコメントが不快なものだったので、「店なんて行ってたまるか」という反応になった場合、それは縛りプレイではなく、意地をはっているだけになる。どちらも自由であることには変わりがないが、縛りプレイのほうが理性的。また、小さい子どもとゲームをすると、細かい仕組みやコツに無頓着なことがあるが、そこでその細かいところを教えようとすると、そもそもゲームを放棄してしまうようなことがある。例えば、大富豪にはローカルルールがたくさんあり、それらを多く適用しすぎると、大人でも戸惑う。初見プレイでもそうで、最初のうちから全てのノウハウを知らなければゲームできないわけではなく、そもそも学んでいく過程をコンテンツにする場合がある。
ここで、荻原理先生がマクダウェルの定言命法の定式化を整理した文章を見てみる
あるときある人がある状況で、ある行為をしようとは思わず(その行為をするよう要求されているとは思わず)、この行為をしなかったとしよう。だが後に、同じような状況で、その行為をするよう要求されているのを認めて、その行為をしたとしよう。のが、その状況の捉え方が変わることによってである場合には、その要求は定言的である。他方、その要求を認めるようになったのが、状況の捉え方は変わらないまま、それまで持っていなかったある欲求を持つようになることによってである場合には、その要求は仮言的である。 「杖使えよ」「(ある行為をしようとは思わず)なんでだよ。やだよ」
……
「杖使えよ」「そうだな。ここは杖だな」(その行為をせよとのその要求を認めるようになった)
「なんで前は使わなかったのに、今は使ったの?」
a. 「だって、杖の魔法弾は必ず当たるから」(その状況の捉え方が変わることによって)
b. 「だって、いまコメントしてくれた人は良い人だから(前のコメントは嫌な人だったから)」(それまで持っていなかったある欲求を持つようになることによって)
なお、上の引用文における「要求」は、状況が要求するものであり、特定の人の要求(指示コメントなど)とは違うものが想定されているだろう
「1. 」の場合、その場その場の思いつきでプレイすることになる。これはカント哲学の用語でいえば「傾向性」にばかり従う状態だと言えるだろう。「2. 」の場合、どうすればいいのかを知っているのだが、「このコメントに従うのは癪だから」などの周辺的理由を持ち出して、やればいいことをしない状態だと言える。これは、そうすることで「コメントに逆らう」という意図を実現できる、仮言命法に従ったことになる。「3. 」の場合、判断はつかないが、確率を理由にリスクをとる場合は、定言命法に従ったといえる。例えば、「ドラゴンが毎ターン炎を吐くとは限らないから、素振りして相手が近づいてくる方に賭ける」という判断が変わるのは、「ドラゴンが毎ターン炎を吐くと分かったから、素振りで相手が近づくのを待つのはやめる」というしかたで変わる。いっぽう、「近づくのは怖いから、どうしても素振りで相手が近づくのを待ってしまう」という人がいた場合、その人は、恐怖(脅威を避けたいという欲求)に動かされている。
こう考えると、カントが理性と傾向性(まあ、感情)を対立させたことはだいぶ理解できる。もっとも、この対立はぜんぜん昔からあるが。
〈ダンジョンは時計回りに攻略する〉という格率はどうか。これは、そもそもゲームの仕組みとは一切関係がないところで生まれたこだわりの一種なので、状況の捉え方によってこのやり方が変わることはない。だが、そういうプレイをしていた人が「そんなことしても意味ないよ」と言われて、たしかに無意味なことはしたくないと思ったり、さんざん「意味ない」と言われすぎて「呆れられたくないな」と思ったりした場合、そういうこだわりを捨てるだろう。 轟はじめさんのダンスレッスンについてのアドバイスでは「キモい」という感覚が手がかりになっていると同時に、トレーナーさんとの違いという、正しいものと間違っているものとの違いという契機もある。(ここですぐに「トレーナーのポーズが『正しい』のか?自由にダンスしていいじゃないか」みたいなことを言う人が脳内に出てくる。)上手くなりたいなら、「トレーナーさん上手いなすごいな」という感覚(尊敬)と、それをもとにした「自分の動きはキモいな」という感覚とを大切にする必要がある。だが、上手くなりたいわけじゃなく、ただ踊りたいだけなら、「自由にダンスしていい」。シレンも同じで、上手いプレイをしたいなら、あるいは、ダンジョンをクリアしたいなら、アンチパターンを潰していかないといけない。だが、ただ時間つぶしをしたいだけなら、行き当たりばったり特に何も考えずにプレイしてもいい。
カント哲学の場合、「ダンスが上手くなりたいなら」とか「シレンで上手いプレイをしたいなら」みたいな願望は前提されているのではないかと思う。
しかしまたあらゆる理性的存在者(中略)にとって、現実に存在するものとして前提できるような一個の目的がある。それだからこの目的は、あらゆる理性的存在者がもつことのできる意図というようなものではなくて、彼等のことごとくが自然必然的にもっていると確実に前提できるような意図である、それは――幸福を求めようとする意図にほかならない。(『道徳形而上学原論』p72) カントは「幸福になろうとしないならば、〜する必要はない」みたいな判断を、不合理だと見なすだろう。
もちろん、ダンスをしないにも関わらず「ダンスが上手くなりたい」という目的を人は持っているはずだなどとは、カントも思わないだろう。しかし、〈いやしくも人がダンスをしようと思ったならば、その人はダンスの能力を開発しようとするはずだ〉というふうには思っただろう。そして、〈もしもある人がダンスをしているように傍目からは見えて、かつ、その人がダンスの上達を望んでいないのだとしたら、その人は『ダンスをする』とはまた別な行為をしているのだろう〉と考えることだろう。と予想する。
実際、彼とても理性的存在者であるからには、自分のうちに蔵せられているいっさいの能力が開発されることを欲しないわけにいかない、それというのもこれらの能力は、有りとある可能的な意図のために役立ち、またそのためにこそ彼に与えられているからである。(『道徳形而上学原論』p90) カントのこの「幸福は可能的でなく現実的なもの」だとか、「自然によって与えられた目的」だとか、そういう、現代の感覚とは違うところを押さえつつ、そこを差し引いて考えると、色々考えられそうだ。
「指示厨」っていう現象、めっちゃ面白い。
主体的な参加、自分ごと化と密接に結びついている基素.icon
文章書いてたら部屋寒いのに気づかないorそっちのケアしないにより🥶
mtane0412.icon
BlueSkyを継続的に使ってた感を出していく
ジャックは何だったらがっかりしなかったのか
なんか文脈があるっぽい?
例のあの人とは
Scrapboxのデモが公開された
大偉業.icontakker.icon基素.iconyosider.icon
sawachin.iconさんが腕を振るい始めているsta.icon
交換日記を見ているようだ
kana.iconさんが大きいsta.icon
二人プロジェクトは普通はprivateになる
sta.icon
スケボーは正直やりたいけど、移動手段としてキックボードが(道路交通法的に、あるいは都会の道路事情的に)分が悪いってことがわかってるので気が進まない
やるからには絶対に移動手段にしたい
「肉体を用いた移動」は私の人生においては重要なトピックである……
やはり自転車しか勝たんtakker.icon
自転車は人力最速だし座ってて疲れないのも強いsta.icon
maichan.icon
Blueskyはじめました!!!!
でも推しがアカウント作ってないからなぁ
mrsekut.icon
scrapboxの検索フォームの右端にあった小さい上下矢印がいつの間にかなくなってた
ページ内検索するやつ
ね基素.icon
あまり使わなかった
3ヶ月に1回ぐらいしか使ってなかったmrsekut.icon
全く使っていなかったseibe.iconwogikaze.iconsta.icon
ページ内検索(ブラウザ機能)のほうがなじみがあるしwogikaze.iconはるひ.icon
ブラウザの機能だと関連ページリスト等も引っかかって違和感はあったはるひ.icon
リンク化されたURLをページ内検索する際とかに使ってたmrsekut.icon
これはブラウザのページ内検索だとできないので
なるほどーはるひ.icon
使われない機能は消されていくのだな…yosider.icon
機能が使われているか調査しているのだろうか
RR.icon
元気があったら知らない人にも挨拶することがある
知らない人って言ってもたまにすれ違うくらいの知らない人だけど
ほとんどの場合そんな元気ないけど
Google bardと喋った
キャラクターの設定を考えた
個性的!ではないけど筋の通ったキャラになった
2024/02.icon