100分de名著ローティの回のアイロニー回り
from 2024/02/14
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アイロニストを読む
ぱっと思いつくこと
借金玉さんの茶番センサー
たぶん関係ない。
いや、ありそうだな
オルテガのいうアイロニー
ポール・ド・マンの論文「アイロニーの概念」
オルテガのいうアイロニーでは、主語が「概念」になっている。この概念は、断言する。「〜は云々である」と。「〜かもね」みたいな言い方はしない。へらへらしていない。だが、自分が断言したことが、断言したとおりではないということを知っている。
概念というものは最も卑俗なものも最も科学的なものもすべて、幾何学的にカットされたダイヤモンドが爪のある金の台に嵌められているように、自分自身のアイロニーの上に、明るく微笑する歯の上に置かれているものなのである。概念は大まじめに「これがAであり、あれがBである」という。しかしそのまじめさは、皮肉者(Pince-sans-rire)のまじめさである。それは、哄笑を噛みこらえ、唇をしっかり結んでいないと笑いを吹き出してしまいそうな者の不安定なまじめさである。概念自身は、これがAでないこともはっきりと承知しており、あれがBでないことも完全に知りつくしている。概念が考えていることは、厳密にいって、彼が口に出していうこととはやや違っており、この二枚舌であるところにアイロニーがある。(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』14の2)
『大衆の反逆』は、メインの話から外れた話も面白い。そこからオルテガ思想の一端が覗ける
アイロニストであるならば、真面目に断言されたことが「幻想」であると知っている。「本当」は違うのだと知っている。
アイロニーとは破綻を生じさせること、幻想を打ち破ることなのです。(ポール・ド・マン『美学イデオロギー』p332)
しかし、「なにもかも幻想ですよ」と吹聴はしない
アイロニストは、言葉と実際との間の隔たりに耐えつづけるっていう印象がある
アイロニーとは明らかに、一つの自己の内部における懸隔そのもの、一つの自己の二重化、自己の内部における反射的な構造のことなのです。自己は己れの内部で自分自身を一定の距離をとって眺める、というわけです。(ポール・ド・マン『美学イデオロギー』p311)
「唯名論」ってどっから出てきた?
/nishio/ローティのアイロニストは唯名論的nishio.icon
要するに、例えば「粋」という「終極の語彙」に関して「『粋』という言葉が指している普遍的実在がある」のではなく「個別具体的な物事に人間が『粋』という名前をつけているだけ」だということかと
水平線の議論とアイロニー
事実Aに対応する叙述A'は、他の叙述Xsと無関係に、事実Aのみから自らの正当性を受け取る
この事実Aの場所に「自分の思い」を置き、対応する叙述A'に「私は〜と思う」を置く
いや
『イデオロギーの崇高な対象』
67/420ページ(16%)読む(再読)。明日160ページまで読む予定。
上に書いたアイロニーの話とかぶる話もあった。「アイロニー」という言葉も出てきたし