車椅子や松葉杖を使っていた時、誰かにヘルプを頼むのが申し訳ないと思っていた
from 2024/03/17
yuyuko.icon車椅子や松葉杖を使っていた時期がある
毎度誰かにヘルプを頼むのが申し訳なく、何度も何度も「ごめんね、ありがとう」と繰り返していた
わかるcFQ2f7LRuLYP.icon
横柄な奴だと思われないか不安で、必要以上にへりくだって謝っていたと思う
つとめて明るく「誰か助けてー🙏」とヘルプを求めていたら、当時の担任に呼び出されて「病気を持っていることに甘えている」と言われ、子ども心にその担任に不信感をおぼえた
明るく助けを求めるというのは、自分なりに考えた末の選択だったのだが、担任としてはもっと謙虚に(🙄)しおらしく(🙄)していてほしかったのかもしれない
と思った(言語化できなかった当時も、確かにこう思った)
担任の対応に不満を感じるcFQ2f7LRuLYP.icon
書いて消して……のカーソルの動き(とそのテキスト)にcFQ2f7LRuLYP.iconさんの人間味を感じましたyuyuko.icon
🤖cFQ2f7LRuLYP.icon
ロ、ロボットだ!yuyuko.icon
yuyuko.iconの勘違いだったロボね〜
担任自身が感じた不満の主体を担任が勝手に投影しているように見えるSummer498.icon
『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』だとむしろそれ(ヘルプを頼むこと)を当然の権利として行使する人のルポルタージュが描かれていたcFQ2f7LRuLYP.icon
めちゃくちゃ角は立っていた(ボランティアが「こんな夜更けにバナナ(を買いに行かされるの)かよ」と不満を洩らす程度に)
「支える側」と「支えられる側」は逆転する 「夜更けにバナナ」はわがままか?(前編)
社会的弱者というか、ボランティアに助けられているという側面というよりは、どちらかというと鹿野さんが、みんなに講義をしてあげているという感じです。
帰るときも当然、鹿野さんがボランティアに「今日は忙しいのにきてくれてありがとう」と言うのがまあ普通ですよね。
けれど、実際は全く逆で、帰る時に若いボランティアの人たちが、「鹿野さん、今日はありがとうございました」と頭を下げて帰っていきます。鹿野さんは「まあ、どういたしまして」という感じです。
「いや渡辺さん、研修ってほんと疲れるわ」みたいにぼやいている鹿野さんを見て、私は非常に頭がネジくれるような気がした最初の場面でした。
つまり、「できない」ことを「できる」に転換していく厚かましさ、バイタリティというのでしょうか。
鹿野さんは、「介助を受ける」ということと、「自分の体を教材にして、素人のボランティアに介助を教える教師」という役割を両立していました。
この点なかなか興味深いcFQ2f7LRuLYP.icon
うおー興味深いyuyuko.icon
山田太一脚本・男たちの旅路「車輪の一歩」 - ROCK CD & DVD BUYER'S GUIDE III これ思い出したyosider.icon