老いの練習
from 2026/05/07
atohs.icon
哲学は死の練習らしい
たぶんソクラテス
軽く調べた感じだと、プラトンの「パイドン」の中で、ソクラテスが言ったこととして書かれているらしい
私たちは、「もう若くはない」と若いうちから言い続けることで、老いの練習をしているのではないか
平成1桁ガチババアとか
25歳になると「もうアラサーだよ〜」と言ったりとか
20歳くらいで、10代の人たちとくらべて「自分はもうおばさん」と言ったりする
人生の一部を諦める練習的側面もありそうと思ったcaki.icon
20くらいになると子を持つ人が出て来たりして、自分の人生の一部を諦めることと引き換えに子を持つみたいなのを目にしそう
自分の人生をぜんぜん諦められない32歳が通りますatohs.icon
そういう自虐って、なんか良くないかもなー、もっと老いを肯定的に捉えたほうが良いのではないかなーと思っていたけど、そうは言っても老いというのはあまり嬉しいものではなく、そう自虐することで老いの練習をしているのであれば、それはそれでちゃんと機能があって良いかと思うようになった
from 2026/05/07
atohs.icon
なんとなく出生したことだし、なんとなく死にたい、みたいな気持ちがある
出生したという体験的な記憶はない
いつのまにかこの世に生を受けていた
それに対して、死ぬというのは「ぷつん」とした感じがあって怖いと思っていた
全身麻酔を受けたことがあると死生観ちょっと変わるSummer498.icon
具体的には「ぷつん」すらなく死ぬような感じがする。
しかし、認知能力が徐々に衰えていくことを考えると、なんかゆるやかに死ねそうな気がして、それはそれで良いのではないかという気がしてきた
ゆるやかに死ねるように、事故には気をつけて、大きな病気もしないようにしたいね、という気持ち
from 2026/05/07
Summer498.icon
老いは自らの人生を端的に要約して語らせるものだと思ってる
だから、老いているに類する言葉遣いをあまりしない。
それは後述する私の考え方では「自慢」に当たる。
逆に、身体の見た目を若い方向に取り繕う]行為もしない。例えば白髪染めとか。
歳の割に老けて見えるということは、それだけの人生経験、苦労があるということなので、むしろ誇らしい。
「まだ若いのに白髪多いわねぇ。消さないの」と言われたりしたら、「これは苦労の証だ」と返す。
それが自然と見える状態にしておき、老いを見た目に語らせたい。
口で「老いた」というのを嫌っているのもこれ由来。論より証拠。
老いをポジティブに捉え、若さをネガティブに捉えているので、口では(ネガティブなニュアンスで)私は若いと言いつつ、身体の見た目は身体が老いるに任せている。
最近やっと自分のことを若いと言えるようになってきた。
倒錯的な表現だけど、若さをネガティブに捉えていると、若いということを認めるために年月が必要。
老い練。terang.icon
いやなんとなく呟いてみたかっただけ。
老い練って書くと、老いの練度みたいにも読めるかもな。
呟いて少し経ってから、ふと思った。