老いの練習
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私たちは、「もう若くはない」と若いうちから言い続けることで、老いの練習をしているのではないか 20くらいになると子を持つ人が出て来たりして、自分の人生の一部を諦めることと引き換えに子を持つみたいなのを目にしそう 自分の人生をぜんぜん諦められない32歳が通りますatohs.icon
そういう自虐って、なんか良くないかもなー、もっと老いを肯定的に捉えたほうが良いのではないかなーと思っていたけど、そうは言っても老いというのはあまり嬉しいものではなく、そう自虐することで老いの練習をしているのであれば、それはそれでちゃんと機能があって良いかと思うようになった atohs.icon
それに対して、死ぬというのは「ぷつん」とした感じがあって怖いと思っていた 全身麻酔を受けたことがあると死生観ちょっと変わるSummer498.icon 具体的には「ぷつん」すらなく死ぬような感じがする。
しかし、認知能力が徐々に衰えていくことを考えると、なんかゆるやかに死ねそうな気がして、それはそれで良いのではないかという気がしてきた Summer498.icon
老いは自らの人生を端的に要約して語らせるものだと思ってる だから、老いているに類する言葉遣いをあまりしない。
歳の割に老けて見えるということは、それだけの人生経験、苦労があるということなので、むしろ誇らしい。 それが自然と見える状態にしておき、老いを見た目に語らせたい。
口で「老いた」というのを嫌っているのもこれ由来。論より証拠。 最近やっと自分のことを若いと言えるようになってきた。
倒錯的な表現だけど、若さをネガティブに捉えていると、若いということを認めるために年月が必要。 老い練。terang.icon
いやなんとなく呟いてみたかっただけ。
老い練って書くと、老いの練度みたいにも読めるかもな。
呟いて少し経ってから、ふと思った。