火車の今日は我が門を遣り過ぎて哀れ何処へ巡りゆくらむ
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拾玉集収録と目にしたので調べたくなった
拾玉集は鎌倉初期の歌人慈円の私家集。撰者は尊円親王
宮部みゆきの火車で引用されているらしい
下記藤井論文によると歌番号四七五番
国歌大観. 續 歌集 - 国立国会図書館デジタルコレクションにあり
『拾玉集』巻第一、四七五「日吉百首和歌」の無常五首の最初
https://gyazo.com/32a0382399385cd12568fdf63f06bf08
国歌大観. 續 歌集 - 国立国会図書館デジタルコレクション
日吉百首とは何か?
年代が分かれば同じように百首歌を用意した人の歌を参考にひけるのだが…
注釈書か歌集の検索が無いと先に行けそうもない…
川田順「慈鎮名歌評釈」(『俊成・定家・西行』〔昭和11年〕)では「日吉神社への献詠に相違ない」とは言っている
俊成・定家・西行 - 国立国会図書館デジタルコレクション
分解
火車|の|今日|は|我が|門|を|遣り|過ぎ|て|哀れ|何処|へ|巡り|ゆく|らむ
火車について
仏語。火の燃えている車。生前、悪事を犯した罪人を乗せて地獄に運ぶという。また、地獄で罪人を乗せて責める火の車。(日本国語大辞典)
少なくとも和歌であまり読まれる語ではない
勅撰集(八代集)にはないんじゃないか?
読みは「かしゃ」あるいは「ひぐるま」?
日本国語大辞典の「辞書」では日葡辞書が最古=室町以前の古辞書には見えない語らしい
上の国歌大観本では「火の車」になっているので「ひのくるま」か
慈円はこの言葉をどこで見知っていたのか?
同時代の「火車」の例が仏教説話集(特に往生説話)にて見える
/icons/PDF.icon「火車」を見る者たち―平安・鎌倉期往生説話の〈死と救済〉―(藤井 由紀子 2015)
清泉女子大学学術機関リポジトリ
平安・鎌倉期の往生説話における火車についての論文
この歌は何を言いたいのか?あんまりよくわかんないcFQ2f7LRuLYP.icon