演出されたことを知ってしまってフェアに感じなくなるとき
from ゲームの乱数の設計
演出されたことを知ってしまってフェアに感じなくなるとき
テトリスの乱数に演出が入っていることを種明かしされるとフェアに感じなくなることがある。しかし各1/7で完全にランダムと一言も言われてないのだったはるひ.icon
点数を競うゲームでどこまでこれをやっていいのか
上手な人が演出込みで遊ぶようになり、競技性の一部として成立するかもしれない
こうした確定的な性質をもつテトリミノ配列は、競技としてのテトリスの「定石」の成立にも寄与しているようだ
マリオカートの打開
ゲームには一見演出されていない感も重要という話がある。自分なら自然に世界観になじませたもの(草花を置いて溶け込ませるのかな等)を想像するが、世界観らしいもののない落ちものパズルはその完璧な例だったりして
プレイヤーの状態に応じてアイテムの出現がコントロールされることで有名なゲームにバイオ4がある、アクションの腕試しと思うか、思考実験的な世界をサバイバルするシミュレータと捉えるか、そもそも演出ありきの映画風ゲームと捉えるか、といった観点によって演出されていることへの許容度が変わるか。
モンハンはリアルだなあと思っていたのでマルチプレイの人数で敵の強さが変わるのは世界観壊れねって思った事がある
こうした自動的な演出と難易度調整を宣伝文句にしたゲームがあった気がする
L4DのAI Directorだ
ハイテク機能で演出頑張ってますって言われると、プレイヤーを楽しませようとしてくれてるんだっていうのが伝わって安心感になるかも。ただ楽しみたいプレイヤーにとっては
マリオカートも順位が下がると良いアイテムが出たきがする(64の記憶)inajob.icon
ずっとそう!はるひ.icon
マリカーのその仕様は子供の頃も知っていた気がする。マリオのなんでもあり感はアンフェア感の軽減に寄与していただろうか
以下ポエム、ゲームという存在そのものも演出じゃんとかいうことを思ってしまうことがある。敵とか出てきて課題を解くと褒めてくれるというのはマッチポンプ、敵が消えた方がいいならはなから出さない方がいい(?)とか
クリアしてThank you for playingと出てきたらそれが救いになるのかもなあ。開発者とのコミュニケーション、あるいはコンピュータプログラムとのインタラクションだったんだなあと意味を見出せる
トゥルーマン・ショーの主人公みたいな気持ちになる。人生もゲームも神の計らいでできたものでそれ以上の意味も関係もない