最近うつ病や躁鬱病について気になっている
blu3mo.icon
なった場合のダウンサイドが大きそうだけど、全然症状や原因について理解していない
覆水盆に返さずというが、一度でもなったらもう戻らない(脆くなる)と理解している。なってしまわないための自衛が大事だと理解しているsta.icon
同じ理解をしてる、腰を痛めるみたいなメタファーで理解してるinajob.icon
あれも完治とかは難しそうなイメージ
どちらもなったこと無いので怪しい
国試範囲の区別だはるひ.icon
問題を解くうえでのポイントなので診断基準とは関係なさそうな気がする
シンプルすぎてそんなんでいいのか?となるが学生はこれ以上勉強しない
こんな感じでヘンな知識いろいろつけちゃってるんだろうなあ
うまく言えないけどその理解には賛同しがたいtakker.icon
特に「一度でもなったらもう戻らない」と「ならないようにするのが大事」の2点
前者を信じていると、なった後にタダでさえ絶望感が強い症状が出ている中で余計に絶望感を強めることになるSummer498.icon
後者は「じゃあどうやって対策するつもりなん?」って聞きたくなるSummer498.icon
鬱対策ってストレスを抱えないようにとかフワッとした対策しか出てこないイメージがある
戻せるとか戻せないとかの話じゃなかったような
「ならないようにする」はなる前の状態なら有益だけど、なってしまった後の対処には無益
+1sta.icon
もちろんなったあとの対処法がないなら仕方ないけど、うつ病の研究はかなり進んでいるはずだし、そんなことはないはず
かなり進んでいる割には大した成果はないんじゃないかなSummer498.icon
薬を飲んだら治るわけじゃない
気持ち治るけど、たまたま自然治癒と薬を飲んだタイミングが合致しただけじゃないの?って言ってる精神科医の人もいるし
対処法はもちろんあるけど、完治はできないって認識sta.icon
いやできるのかな?どうなんだろ。完治してる人見たことない
完治はほぼ無理ですね。寛解と診断されます(鬱も躁鬱もやってる人からの意見)xbczLsg2YtD2.icon コレって両方できるんだ。大変だったね……。Summer498.icon
自分の直感には一度ある病気にかかったから再発率が変化するというより、病気に何回かかろうがそもそもそういう人というだけだろうというのがある
wakaru.iconSummer498.icon
「鬱病っぽい運命の人は鬱病に一度もならないための努力をしてもその後の発症率は変わらない」?
ん?
それはなんか違う気がするな、疾患によっては一度の発症がきっかけで体質や環境が変わるということもあるだろう
「再発率を下げるために初発を予防する」という概念に文章的な違和感を感じているのかな
初発しなければ再発しようがないので再発率を下げられない
なるべくでも躁うつ病にならないようにすることなんて可能なんですか?私は躁うつ病ですけれども、多分予防法とかないと思いますmaichan.icon
予防すればそんなことにならなかったかもしれないんですよ、あなたの努力不足です、とか言われたらすごく嫌だなぁ
それな👈️Summer498.icon
私も医者に「あなたはある日突然脳の神経伝達がイカれたから躁鬱になったんですよ。心の病気じゃありません」って言われたので、鬱と違ってそうなる環境に身を置かない工夫的な予防は無理ですよね…xbczLsg2YtD2.icon
なるほどblu3mo.iconinajob.iconsta.icon
ボクシングの選手のうつ病率がやたらと高いらしいSummer498.icon
脳に衝撃がいってイカれるから
発症までは元気にパンチとかパンチとかしてる兄ちゃんがある日突然「死にたい…」ってなるんよ。
コレを聞くと心理よりも物理的な問題だよねって感じする
僕が運が良かっただけかもなぁsta.icon
危なそうなときは抗ってきたし、抗うための勉強や衝突や生活リズムの構築なども厭わなかった
そういう努力ができる才能、あこれ以上は壊れるやばそうと完治できる才能?、など色々あったからこそなのかも。あとたぶんパルクールで向き合ってきたのがでかい気がする 抑うつ的な状態って今そうなのか?そうじゃないか?という判断が不可能ではないか?hoshihara.iconはっきりとしていない
しかし、「病むという感覚が理解不能」という人を何人か見たことがあるので、そのような人はそうではないとハッキリいえるはず。その感覚がわかるかどうかというか
脱線:「胸やけ」も「感覚が理解不能」派がたまにいる
うつ病はガイドラインではDSM-5とかいう診断基準に従えとある。精神科では誰かが決めた質問票や点数なんかもあるようなので基準という意味では他覚的に診断するためのツールでなんかやってるんだろうはるひ.icon しかし他人に訊かれて正確(とは)に答えられるかなど全くわからない
医師看護師が痛みをアセスメントするためのNRSというのがある。10を考えられる最大の痛みとして、今の痛みは1~10のどこか、という質問のこと。自分も患者にやる。けど自分がたずねられたとしたら痛みの程度を数直線的に把握しろと言われてもほとんどできないだろうなあと思う このようなスケーリングは相対的には比較が不可能だろうけど、個人にとっては痛みを客観的に捉えられそうで(メタ認知的に)有効だろうと思うhoshihara.icon
手術後に痛みの話をした際に、スケールの感覚を説明されたうえで 7 って答えたら「メッチャ痛いやん」って言われて「そんなリアクションされるほどでもないけどな」って思ったんで、痛みの感覚を共有するのムズいって思ったSummer498.icon
診断される前の人は自分が抑うつと自覚するの難しいかもですが、何度も繰り返していると自分の抑うつ状態は自覚できます。ひどい人は希死念慮とか湧いてくるわけだしxbczLsg2YtD2.icon
それは理解できる。なった場合のダウンサイドが大きそうだけどという言語化に違和感があったのでこのようなコメントになってしまった、私は何が言いたいのだろうかhoshihara.icon
なった場合のダウンサイド?
鬱っぽい人はずっと鬱っぽくて、そうじゃない人はずっとそうじゃないという固定観念があるので、「なった場合のダウンサイド」という日本語がおかしいなと思ったのだろうな
鬱っぽい人は鬱っぽくてそうじゃない人はずっとそうじゃない
多分そんなコト無いと思うSummer498.icon
ボクシング選手が脳を壊してうつ病になるみたいな
理解hoshihara.icon
「重いものを持ち上げると腰を壊す」みたいなメンタルモデルを持っていたのでそういう表現になったblu3mo.icon
では、私は環境要因より体質に依るところが大きいというイメージを持っているので違和感があるのだろうな。bluemoさんは逆のイメージを持っているようだhoshihara.icon
投資は期待値を見て自分が取るリスクを調整できるが、病気はリスクの調整が難しい
難しいだけでできなくはないはず
下でinouweさんも言っているが、「ダウンサイドが大きそう」という日本語は矛盾はしていないな。
そうなのかはるひ.icon
「希死念慮が湧いたらこれは症状として出たものだなとわかる」てきな?特に疾患と関係なく希死念慮が湧く人もいるかもしれない。確かにここは一度医者に言われないと医学的にじぶんのあんばい具合がどんなもんなのかわからないだろう
比較的良い状態と悪い状態のどちらも体験したあとで、悪い状態が認識できるというイメージだったhoshihara.iconどちらかしか体験していないと、わからない
たしかにはるひ.icon
うつ病になって治療して治りました、というのが一個あるとわかりの助けになりそう。
当事者はずっと地続きの「自分」でしかないxbczLsg2YtD2.icon
自分がずーっと続いているところに、この状態は抑うつですとか、躁ですとか、適応障害に当てはまります、とか後からラベルを医者からつけられるわけです
そのラベルの状態に再び近づいたときに、今自分って〇〇の状態かもと自己判断ができるイメージ
ぶっちゃけ株価チャート
なので上で言ってるダウンサイドは個人的にはあんまり違和感ないかも…とここまで書いて思った
鬱ではないけど、抑鬱症状発症したときは「なにこれ。わからん。おかしくなっちゃったのはわかるけど」って感じだったかなSummer498.icon
今は多分治ってる(というより薬で抑えてる)
旅先に薬を持っていき忘れて飲めなかった際に、既知のシンドい感覚が出てきて、「治ってないな」って思ったのと、「自覚できるな」って思った
他人の体験談を聞いて自分の子の症状はXXに当てはまるんじゃないか、あーだこーだってずっとやってた
経験があると自分が再発したときに「あのときの感覚と似てる!」って思えそう
再発したこと無いからしらんけど
自分が持つモデルは「器」に入れすぎたら破裂して壊れる、だったsta.icon
一度壊れた器は元には戻らない。戻せないことはないが脆い
なので「器のサイズ」と「器にどれだけ入れるか」をコントロールすることである程度自衛できると考えていた
入れてくる人や環境が問題というのなら、極論だけどそいつらと刺し違えてでも守るとか
そのモデル、壊れた後に絶望するからやめたほうがいいと思うSummer498.icon
そう思うsta.icon
なるほどなー、「特性」として理解した方が良さそうかsta.icon
o1proにも調べさせた: うつ病の成因:ストレス蓄積モデル vs 個人特性モデル