何もしないをするって、能動態とも受動態とも言いにくい、ビミョーな概念に思う
from 2026/04/21
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何もしないをするって、能動態とも受動態とも言いにくい、ビミョーな概念に思う
中動態の世界を読み中で、これも中動態なのか?と思う
do nothing ならどうかSummer498.icon
"nothing"を"do"するって、doするものがない→能動的に何もdoしてないようにも思えて、じゃあ受動的にdoしてないわけでもなくて、、、
数学のゼロと同じようなtaktamur.icon
何もしないをするは、数学のゼロと似てるのか?taktamur.icon
、、、なんて事をつらつら書いては消してを繰り返して、自分で書いててもよくわからなくなってくるtaktamur.icon
数学的には空集合という概念が似ていそうSummer498.icon
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言葉の違和感を表明
能動態は「彼を殴る」、受動態は「私は殴られる」のように「する」「される」の関係だが、
ここでは「彼を殴る」「彼を殴らない」の関係になっているようだ。
そのような関係は「肯定形」「否定形」と呼ぶ。
それはそうとして、「中動態」中動態の文脈ではどう使われているだろうか。
↑自分はこれよく分かってない&本を読んでても難しくて、「能動態と受動態の間にあるようなもの」として「中動態」があった、、というレベルでしか把握できてないtaktamur.icon
ネーミングがよくないのかもしれない。Summer498.icon
中動態という名前から能動態と受動態の間のような印象を受けるが、
態には1つ目(能動態)と2つ目(受動態)があると考えられてきたが、実は3つ目があったのだ、のように前者のことは忘れながら中動態の説明を読むと良いかも。
主語と目的語が違う物の場合は、能動態か?受動態か?という2択で考えられる。
例えば、ジャンとポールが居る。ここで、蹴るという動作が行われた。
ジャンがポールを蹴ったのか、ジャンがポールに蹴られたのか。
主語と目的語が同じ時――例えば「ジャンはジャンを洗う(→ジャンは体を洗う)」――に対して能動態とも受動態とも異なる単語を用いるのであれば何か名前が必要になる。
他には「岩が動く」に関しては、岩を動かす力を加えている原因が存在するはずである。このため、「岩が動かされる」(受動態)とも言えるが、「岩が動く」と能動態のような言い回しをする。
しかし岩が自分の意思で動いているわけではないので「ジャンがポールを蹴る」(能動態)とは異なるものと考え、別の名前をつけることも考えられる。
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中動態、自分もずっとよくわからないでいる
amzonページに時々痛烈な批判もあって(e.g.)その情熱はどこからくるのだろうとと思ったり。
中動態の語を見かけたときは、個人的には中動態の新たな神秘化を読み返すのだけど(今も読み返した)、やっぱり相変わらずよくわからないでいる。
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同じ中動態という語を使いながら文法用語の中動態の話をしている人と、中動態の世界の話をしている人が居そう。
〈中動態〉と書くと後者っぽくなるだろうか
と言いつつ私が出した中動態は単なる文法用語の方なのでカッコをつけられない