デライト
https://gyazo.com/1f5a4cad21079066f82288e89ebfc232
デライトは、あらゆる情報を「輪郭の組み合わせ」で表現することで、人間の脳のしくみに調和した記憶の保存・検索・共有を可能にする、日本発にして世界初の「なんでもメモ」サービスです。 各ページ(輪郭)に親ページのようなものをいくつでも設定できるようになっているのが特徴 親ページと子ページを設定できる
個人の持ち物(scrapboxでいうproject)という概念がない
現在(2023/09)では投稿ごとに公開/非公開を個別設定できるようになった
なんでもメモ??
ここ把握できてなかったはるひ.icon
むかーし触った時、なんかまずいこと書いちゃったかも
他人の投稿と自分の投稿を勝手に繋げることができる
勝手に繋げていいのかな?と思ったりしてしまう久住哲.icon
そうは思わずに勝手につなげるbsahd.icon
同じページに書き込むよりは気軽な可能性もなくないはるひ.icon
ただつなげられると、関係なくても自分が言及されたかな?とおもってしまうな
「プロジェクト」的な概念は意図的に排している。hiro.icon
もともと,個人の精神全体をそっくりそのまま表現するためのシステムとして構想されているので。
垣根を作りたくないというか。
結構むずかしくない?はるひ.icon
けっこう難しい久住哲.icon
デライトの永遠の課題だろう hiro.icon
https://dlt.kitetu.com/KNo.F85E/A-5B28-73D9.png
これは非常に参考になったご意見 hiro.icon
現在「はじめに」にこの図を載せているきっかけ。
引き入れによるリンク(階層関係をつくる)と輪括によるリンク(cosenseにもある自由なリンク)は別物sta.icon https://gyazo.com/7753f2faffcc8b5adbbfd81782cac497
同じ名前Xのページ(輪郭)が複数存在しうるsta.icon
宇田川氏がつくった「デライト」輪郭Aと、sta.iconがつくった「デライト」輪郭Bは別物
なので、「デライト」の親に「うんち」をつけたら、
❌このサービス全体で「デライト」の親が「うんち」になる
⭕sta.iconがつくったBの親が「うんち」になる
またsta.iconが「デライト」という名前の輪郭を複数つくることもできる
デライト宣伝にあたって,「同じ名前のページが複数作れること」が理解されにくかったのは意外だった hiro.icon
同じ名前でも異なるものがいくらでもある世界で,それをそのまま再現しようとするシステムがなぜこんなに珍しいのか
cosenseにせよファイル名にせよ(同一名前空間内の)名前という「名前がIDになる」方で凝り固まってた気がするsta.icon
これについては、名前をIDにしてしまったほうがいいんじゃないかなあという気もしているseibe.icon
シニフィアン・シニフィエの対応がわけわからんくなる感じがする
名付けるコストはかかるんだけれども
「AさんがXという言葉に対して感じる意味」と「BさんがXという言葉に対して感じる意味」はしばしば異なるので、それが自然に表現できることはこの設計の長所だと思うnishio.icon
新しい設計のシステムは理解されにくい
知識コミュニティとしての井戸端,ひいてはCosenseにちょっと感動してしまったし,驚異的なものも感じた
変なものを作っている自覚はあるので「どうせ理解できないだろ?」みたいな孤高気取りをしていたが,ここまでされるとこれまでの態度についても反省せざるをえなかった
投稿を埋め込める
デライト半公式プロジェクトができた /delite hiro.icon デライトはあくまで制作者の構想(発見、悟りと言っても良いのかもしれない)の一部を今のソフトウェア技術で実現できる範囲で作った(かつTwitter的なインターフェースを援用した)ものと思っているので、デライトの階層+ネットワーク構造というのはデライトにおいてはそうなのだが、本来はもっと多次元的なものを表現したいのではないのか、と勝手に思っているseibe.icon
多次元的宇宙というか、多次元を切り取った平面・立体面をいくつも持てる/見れるというか
その観察眼がこわいhiro.icon
多次元的といえば多次元的,単次元的といえば単次元的
東洋的な「悟りの文化」と西洋的な「語りの文化」を自分の中で調和させようとした結果が輪郭法でありデルンでありデライトであるという感覚はある
私が輪郭法を閃いた17歳の時,何を考えていたかというとウィトゲンシュタインあたりの言語哲学についてだった記憶がある
シャワーを浴びていた時,身体をつたって排水溝に流れていく水をなんとなく眺めていたら急に脳内爆発が起こった
言語による静的思考とは無関係に世界は流れていくという生々しく強烈な感覚的体験
流れる水のように動的な世界を言語の背景で静的にとらえている「輪郭的構造」の発見
これが「実装可能」であることも,その実装が極めて大きな革新性を持ちうることにもすぐに気付いた
希哲館事業の始まりである
言語の限界を超えたところに世界の実相的なものがあると考えるのではなく,言語に無数の穴をあけて世界の実相らしきものを覗けるようにする
言語的思考で捉えきれなかった世界の全体性・連続性・流動性を,言語を代替する「輪郭」で捉えて共有できるようにする
デライト上の私を見て理解しがたさを感じたなら,それはデライト以前には宗教の神秘体験などとして決して人目に触れることのなかった超言語的な精神活動をデライトが初めて表現可能なものにしたということなのかもしれない
と思うことがある
むしろ,それが狙いだったとも言えるかもしれないhiro.icon
私は,いわゆる空を技術的に作り出すイメージでデルンを設計していた 20代の頃は輪郭と空性の関係について普通に考察していたりした
精神の輪郭を限りなく充満させていけば,それは実質空と一致するのでは,みたいな
考えないこと・語らないことで達する空観ではなく,考え尽くす・語り尽くすことで達する空観があるというか
なるほど理解しましたseibe.icon
それが空かはなんともですが(私はシャワーの水がながれていることそのものがそれだけで空であると感じる)、しかし輪郭を満たせることによる空もわかる感じがし、また他者への共有という観点ではそちらの方が有用にも思います
有用だけが観点ではないと思いつつここは大きなメリットかなあと
ちなみに,私がその後傾倒した哲学者はホワイトヘッドやデヴィッド・ボームだった
語りえぬものをむしろ虚構として本気で語り尽くすための道具が欲しかったのだろう
この言語観を言語ゲームならぬ「言語演劇」(language-theatre)と呼んできた