だから愛ってなんなんだよ
愛とはとはちゃん.icon
愛です小泉進次郎.icon
このとき愛と信頼と書いたのは、実際は愛だけでよかったんだけど、日本で一般的に言われる愛のことではないので、伝わらないかも、とおもってこう書いたcaki.icon だから愛ってなんなんだよSummer498.icon ここでいう愛が多分いちばんわかりやすく使われているのは、「己の敵を愛せ」で、これは敵であったとしてもその幸せを願って行動しろ、みたいな意味caki.icon どういう意志とどういう行動よSummer498.icon ヒェーンわかんないようcaki.iconキリスト教徒じゃないんだようcaki.icon あんた、キリスト教に基づく教えっぽいものに基づいて愛を語っていたのにキリスト教徒じゃなかったのかSummer498.icon 語ってはいないか
ああ、道徳の教科書の話をしているだけか。これ以上問い詰めてもしょうがない気がしてきたSummer498.icon お前(Summer498.icon)は道徳の時に何を読んだか覚えているのかって言われたら何も覚えてないとしか言えないし
ここの下り面白いtakker.icon
コントみたいで好きSummer498.icon
それ(敵であったとしてもその幸せを願って行動しろ)は当然の話ではないのかSummer498.icon
たぶんないので聖書でめっちゃいわれているcaki.icon それを当然と思っていることを褒められているのかSummer498.icon
そうそうcaki.icon
やっとわかったわSummer498.icon
とは言え私にも、どうなってもいいと思う対象もいるし、この世から消し去りたい(殺したい)と思う対象もいるSummer498.icon
ただ、私が「殺したい」と思ったときにはその対象のその性質を消し去りたいという思いで、その性質が消えるのなら、文字通り命を殺したいわけではない
その一方で、死ななければその性質が消えないことが証明できるのなら、文字通り殺したいと本気で思うかもしれない
そして信頼ってなんなんだよSummer498.icon (両方とも伝わってないのちょっと面白い)Summer498.icon
やっと伝わったぞ!caki.icon
背中を押すことなのではwho.icon
インデントが深くなりすぎてどこにぶら下がっているのか一目でわからんな…画面から見切れてしまっている
朝起きて小中学生のときにキリスト教系の学校だったので道徳を聖書ベースで教えられたのだ[caki.icon]の授業がどのような流れで行われるかを説明するともう少し伝わるかも、と思ったので書いておこう
まず、大前提として「神はあなた方を(無条件に)愛してくださっている」というのを何度もすり込まれるところから始まる 太陽光がある、生きていける空気がある、日々の糧がある、なぜなら神が愛してくださっているから これはこの先もずっと何度も何度も繰り返し言われるし、ミサとかでも言われる 主の祈り(いちばんベーシックな祈り)を通じ、自分たちでも毎日言う たぶん、神とはどういう存在なのか、ということがわかる 新約聖書にはイエスが弟子などに請われ、概念の意味を教えるときに語った「たとえ話」がたくさん書かれている。これらのたとえ話を授業で読んでいく 具体的にどういう方針をもって生きていけばいいんだろう?ということをたとえ話を通じて徐々に理解していく
このあたりで当然疑問に思われる「日々の糧が足りていない、恵まれない人たち」の話も入ってきた気がする たしか「そういう人々に手を差し伸べなくてはならない、なぜならば」というのをこれらのたとえ話とからめてめっちゃすり込まれる
環境から常時享受する恩恵を神からの愛として教えられていそうだSummer498.icon
「大地の恵み」とか「天の恵み」みたいなものに思える。
これを「与える存在」みたいな概念を用意している感じがする。
恵みは受け取る時に意識するものであって、与えることはあまり意識していないSummer498.icon
そういう考え方が「愛」っぽいのかもしれない
いや違うわ。私(Summer498.icon)の思ってる感じだと大和の八百万の神々の恵みっぽい。
キリスト教の愛は「そういう人々に手を差し伸べなくてはならない、なぜならば」の部分が大きそう