「人には価値がない」という悟り
先日揉めた件について思索していたところ、一種の悟りを得たnyarla.icon
揉めた件の詳細はこれ
人には価値がないということを前提とすると、他人と揉めることにも「価値はない」のだと悟った
これについては自分も賛同的な意見を持っていて、「言われてみれば確かに」とも思っていた
当然、自分に対しても価値がないし、相手に対しても価値がない
そして「価値がないもの」に対して「価値」を見出すことも「価値がない」
これはそこらへんの河川敷で見つけた石に「これには価値がある!」と言い張っているのと同じ
「価値のない」ものに「価値があるか否か」を問う価値判断をすること自体、単なる無意味
無価値だと分かっているものへ「価値があるか?」なんて問うまでもない
なぜなら最初から「価値がない」と分かっているのだから
「人には価値がない」ということを前提にするのであれば、感情を揺らして相手をどうこう言う事も「価値がない」
「人には価値がない」という前提に立てば「人の感情」にも価値がない訳で、執着する必要がない
ただ、この辺りは仏教の感性だと思う
つまり自分は「価値のないもの」に「価値を見出して」執着してした訳で、ここに気がついてから「あ、これは嫌悪感を持たれるわ」と納得が行った
この「価値のないもの」には自分の執筆スタイルも含む
今までのnyarla.iconの執筆スタイルは「自分の意見を相手へ分かり易く理解しやすい概念を極力用いて伝える」だった
しかし「人には価値がない」のだから「自分の意見」にも価値はない、という事になる
今回揉めた相手方はキリスト教徒の方だったので、おそらく「自分の意見」に価値があると考え、それを「相手へ相手へ分かり易く理解しやすい概念を極力用いて伝える」ことが「神」への越権行為として映ったのだと思う
細かい文面は忘れちゃったけど、その人は私のスタイルを指して
自分を神の座につけ、人を土台とする
と表現していた
これは「自分の意見」を「神≒意味のあるもの」として設定し、それを「人々に伝えることを目的とする≒人々を土台とする」という対応になるはず
その前提に立てば、相手方にとって、自分の態度は度し難い偶像崇拝だった、ということになる 事実、相手方はnyarla.iconの発言を見て大激怒していたようなことを言っていた
そうなってくるとその人物が私に嫌悪するのも納得だし、それに対して嫌悪感を向けられたのも当然、となった
他にも嫌悪を持たれる理由はあったのだろうけど、縁が切れている以上、それらについては考える「価値がない」ので考えることは止めた
覆水盆に返らずとは良く言ったもので、既に起きてしまったことに対してどうこう言っても意味はない 今回の悟りを得た結果として、相手方への悪感情は消えさり、ただ申し分けなさとか恥る心だけが残った
今までnyarla.iconは「価値のないものへ『価値を見出す』こと」へ囚われていた訳で、これは恥るほかない
また、相手方と揉めなければ今回のこの悟りへは至らなかったので、その点、相手方に感謝の念もある
ただ今回の件に関しては、自分の未熟さが原因で、色々と消耗して相手へ感情をぶつけることにも繋がったのだけど、こればかりはどうしようもなかった
なのでそこを責められても正直困る、という言うのが今の感情
とは言え相手方も「自分に無謬を求めるな」と言っていたので、そこはしないだろうとは思う
ただ今のところ、相手方のアイコンを見ると色々とフラッシュバックするので、断交についてはそのままとした
そもそも GoToSocial の Suspend を使って断交したので、技術的な復帰手段がないというのもある SQLite の DB に対し直接 SQL を叩けばなんとか出来るんだろうけど、今それをする必要性も感じていない ↑ っていうかこれ長いな……
切り出した方がいいなら切り出しても良さそう
とは言えnyarla.iconとしてはどっちでも良いので、そこは他の方に丸投げします
鬱々とした気分のときには(some people は)ニヒリズムに陥るSummer498.icon nyarla.iconの文章はその類のものに見える
これってニヒリズムなんですかね?nyarla.icon
もう少し詳しく知りたい
ざっと調べた範囲では近いと言えそうなのは分かったけど、それ以上の深いところが分からない
仏教の思想とニヒリズムが近いところにある、という記述自体は見付けた
↓ で出てきた考えを整理する意味で記事としてまとめてみた
改めで考えてみると、若干投げ遣りになっていたような気もする
nyarla.iconとしては
1. そもそも今回の悟り(?)は「自分の感情」に固執する必要性はなかったのだ、ということを指す
うまく言えないんだけど、「自身への固執」が今回の件を招いたという判断がある
なんで相手方と揉めたからと言って、自分も感情を揺らした対応は不適切だったというのが反省としてある
今回の悟りはあくまで自分の方向に向いており、他人に対しては向いていない
2. nyarla.icon としては、最初の方から、
人の価値を測ることは「苦」に繋がるから、そもそも考えない方が良い
という思想があった
3. それと「人には価値がない」という観点を組み合わせると、
「自身の感情に縛られること」もまた必要はなかった
ということになる
ここで言う「考える」は「あれこれとバカな考えを張り巡らす」ことを指す
「考える」必要のないことで消耗したり怒りを持つことは、「自身の感情への固執」だと感じ取った
4. 上記を前提に、残りとしてある虚空には人徳や慈悲の心で満たせばいい、というのがnyarla.iconの最終的な結論 啓典宗教ではおそらくこの座に「神」が入るのだろうと考えてるけど、仏教徒なので「神はいない」 「神がいない」仏教徒は「虚空」を満たす相応わしいのは何か?と聞かれたら、それは人徳や慈悲心となる 5. この人世のすべてに意味はなかったとしても、それは確かに「在る」
「人の流れ」が在る以上nyarla.icon以外の価値観もある訳で、そこに立ち入ってまで「人には価値がない」という必要もまたない、とnyarla.iconは考えてます
他人の領域に入ってまで「人には価値がない」と言うのは流石に越権行為に過ぎる