「じゃあ君が出て行けば解決するね」というリアクションが発生する可能性
自分はもともと、嫌なことを嫌だと言うのが本当に苦手なので、井戸端で「嫌なことを表明するのは大事だ」と言われたことが人生における結構デカめの出来事として印象に残っているんだけど、
「じゃあ君が出て行けば解決するね」というリアクションが発生する可能性をはっきり目の当たりにした今、あーやっぱyuyuko.iconには無理かもなーという気持ちが大きくなった
萎縮させてしまったSummer498.icon
萎縮はしていなくて、コミュニティにおいて「じゃあ君が出て行けば」はそれ言っちゃったら終わりだろという話yuyuko.icon
嫌なことを表明するのが大事なのって、それによって議論が深まったり、場の安全性が高まったり、前向きな効能が少なからずあるからだと信じてきたけど、 「じゃあ出て行けば」がコミュニティにおける会話として成り立つならわざわざ嫌なことを表明する意味もなくなる 「嫌なら出てけ」で強制終了になるだけ
yuyuko.iconが↑こういうことを書く意味も薄れる
無理かもなー←無理ならわざわざ書き込んでないで出て行けば?←そうですね。
「嫌なら出てけば?」を自問した結果、これまでに何度か井戸端から抜けてみてる(そしてまた幾ばくか希望を持って戻ってる)んだけど、他者の書き込みという形で直視してあらためて「あ、ですよね笑」となった感じ
気になったのが、逆にyuyuko.iconさんのコミュニティでずっと文句言ってる人って見たことない?Summer498.icon
Summer498.iconのリアルのコミュニティにそういう人がいて「もー」って感じで思ってるんだけど、
もしそういう感じの人がいても「んー、でも嫌なら出ていけばって言っちゃったら終わるしなぁ」って考えてなんとかしようとするん?
基本的に集団を維持するためにはみんなが少しずついろいろなことを我慢したり譲り合って秩序を保っているんだから、誰かが我慢をしていないってことは、その分だけ余分に別の誰かが我慢をしているんよ
だからお互いに、双方がどこまで何を我慢したらいいのかを折衷案として採用して、それでしばらく運用してみて同じコミュニティでやっていけるかな?って話し合いの場が必要なのでは
そのために人は言語を発展させてきたんじゃないかな
この主張は「共存することがやむを得ない状況」という前提だととてもわかるSummer498.icon
今朝このブロックを見ていろんなことを悩んでいるtakker.icon
珍しく主張を書くが、自分は「嫌なら出るな」には強く反対する
「嫌なら出るな」ってどういうこと?Summer498.icon
「嫌でも出るな」ってこと?
嫌なら出てけば?でした。書き写しミスtakker.icon
ほんほんSummer498.icon
一方で他者の発言に文句を言いたくないという気持ちもある
自分の不甲斐なさ、というより不作為だったなとか
ただ自分が事前に何かできたかというと、今まで通り何もできなかったとも感じる
どうすればいいか、自分の中で答えがまったく見つかってない
誰かのことAを悪く言いたくない、でも何もしないと不快な思いをして離れてしまう人Bがいる。
Aに配慮した結果がBの気持ちに寄り添わない結果となる
自分と他者Aという関係性での振る舞いに集中しすぎて、自分が関わらない他者Aと他者Bとの関係にまで気を配れていない
自分のコントロールできない事象なのだから気にすべきでないとも言える。が、気にしてしまうのを止められない
その課題を解決する一つの方法として、「出ていく」があるという話であればそこまで変な発言に見えないかも
もっとマイルドに言うと、「その場から距離を置くとどうか?」、という提案
「出ていけ」という言葉を無神経に使うと相手を否定するニュアンスが出てしまうのではないか?
もしかしたら実態としては、その人の課題がそこまで大きいとしたら、距離を置く解決策もあるよなと寄り添った回答をしているのではないか
先生「出て行け、怒」生徒「はい」先生「本当に出ていくな」というのがあるように、出て行けという言葉には謎の魔術的用法がある説はるひ.icon
生徒「さっき自分が何言ったか復唱してください」Summer498.icon
お約束としてあるイメージ、というかあったmaichan.icon