文章を読むことについて
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まだ言語化しきれていないテーマなんですが、
結論があって、結論の理解を補助するための本文という構成なら、
理解した上で結論だけ摂取して考える方が効率的じゃない?みたいな。
授業の意義は授業じゃなくて、授業中の先生の雑談にある と大学生時代、バイトの先輩が言ってた。
授業内容や授業の要約は誰がやっても同じになるけど、枝葉・脱線の部分こそ、「その人」が現れる気がするし、 結論だけで文章の価値って決まらないよね、っていう気持ちは
にも出てる
要約結果
文章を書くハードルを下げる方法を紹介している。文章を書く体力を身につけること、考えをまとめた文章の貯蔵庫を用意すること。文章を書くことが苦手な人は、文章を書くことを避ける。
一文目はいい感じ、二文目はそんなこと言ってないって感じだ。
文章を書ききることについて。
文章を書く体力を身につける
考えをまとめた文章の貯蔵庫を作り、後から編集する
言語化コミュニティが上記2点に役立っている
要約するとこんな感じか。
ストーリーとしてはそうなんだけど、実際に読んでみると違った発見があるんじゃないかと思う。
本文中で、「ツイートを繋げたような支離滅裂な文章」というくだりがあって、
パンチラインというのか、長い考えの要点を一言で言い切る、みたいな書き方に慣れてしまったので それを繋げたら、何がいいたいのかわからないやばい文章になる。
みたいなことを言っているのだけど、実は文章を書く(編集する)際にあえて残してる。
どこで脱線させてるかはあとで分析するとして、
入籍記事とかも顕著で、記事のどこかしらで刺さったり面白さを感じるといいな、と思って「猫っぽい人が好き」みたいな関係ない情報を入れまくってる。 記事のどこかしらで刺さったり面白さを感じるといいな
と思っていたけど、
限られた文字数に詰め込んだ濃い情報をメインのストーリーに乗せて一気に読ませる、
そういうのが自分が読ませたいと思う文章なのかなと思った。