教養ってなに?
「教養があるね!」の教養の範囲って誰が決めてるんや…
自分が知ってること(知っていて当然と思うこと)を相手が知らない場合に教養がないと言われがち
知識の方向性が違うのに一様に教養という言葉で片付けるのはずるいなあと思った
マウンティングやマーケティングで勝手に定義される場合もあるので、あんまり気にしない方がいいかも説iwaken.icon
教養がある人(広く浅く知識がある)と、専門知がある人(ピンポイントでめちゃくちゃ深い知識がある)を比べるべきではないなあと自戒も込めて
彩.iconよく思うところだと勉強の文系科目(漢字、歴史)は知ってないと恥ずかしいみたいなのがあるが、同レベルの理系の勉強は知ってなくても恥ずかしくないものみたいな風潮があると思う。何をもって教養というのか?
辞書を引いた
教養
きょうよう
人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である。教養はとくに専門的、職業的知識を意識した場合、「一般教養」と表現されることがある。教養ということばの原語である英語やフランス語のcultureがラテン語のcultura(耕作)からきていることからわかるように、土地を耕して作物を育てる意味だったものを「心の耕作」に転義させて、人間の精神を耕すことが教養であると解されている。その「心の耕作」cultura animiという表現を初めて用いたのは古代ローマのキケロである。
心を耕して豊かにするための素材は、時代や社会によって異なって展開されてきたが、ヨーロッパでは古代ギリシア・ローマ的な教養の概念が受け継がれてきている。ギリシアでは精神と肉体が調和した全人的教養人が理想とされ、そのために学ぶべき知識が学科目として提示され、それがやがて自由七科へと発展、継承されていった。古代の教養の概念はルネサンス人文主義のなかによみがえり、さらに18世紀後半にドイツの新人文主義運動のなかで、古典文化の精神を学び直し、それを新たに創造、展開し直すという形でとらえ直された。しかし、教養は古典的、学問的に偏り、それ自身が目的となるきらいがあるため、科学・技術が急速に発達し、社会生活も大幅に変化した現代では、教養の新しい内容が求められている。
[諏訪内敬司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
いいこと書いてんなわんど.icon
古典的、学問的に偏り、それ自身が目的となるきらいがある
教養という言葉が生まれてから今まで、中身アップデートされて無さそう感。最近できた学問の分野は例え素晴らしいものでも教養の範囲に含まれて無さそう?nitlon.icon
理系知識が教養と見なされない
専門的と見なされる。
高校の理科が専門的か、と言われると文系科目に比べて専門的だとおもう。
文転の方がしやすい
高校から大学に入ると化学は物理に、物理は数学に、などと言うが、もしかしたら文系科目の方が学び方が大きく変わったりするのだろうか。
理系はいわば科目が変わる程度
専門的=教養でない、というなら重箱の隅もまた違う気がする
わんど.icon
教養がない、でぐぐったら悪口しかでてこないな。
ほんとに教養についてわかってるんかな、教養の教養ある?(口が悪い)
わんど.icon
専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を全面的に発達
とは言うものの、「話が深いな」と思う人は専門的(✕専門バカ)な人だと思う。
今の時代、専門分野がない人は面白い話題の提供という観点からは価値が低くなってしまう?