勉強したら勉強の必要性がわかる論
「勉強」の難しいところは、「なぜ勉強が必要なのかは勉強してからでないと分からない」という点にあって、勉強しない限り「勉強など必要ない」と容易に言えてしまう。
「価値はよく分からないが年長者がいいと言うのだからひとまず勉強してみるか」と素直に思えた人のみが勉強の価値を知るという。
さらに難しいと思うのが、「なぜ勉強が必要なのか」が分かるのは勉強してからずいぶん時間が経ってから、というところで、学校で勉強したらすぐに何かの役に立つわけではない。
大人になって「何も勉強していなかったら大変なことになっていた」と過去を振り返る時、心底勉強の大切さを知る。
ほたか.icon
このツイートが言う勉強は学校の勉強に限定されてるのでちょっとズレてるけど、完全な賛成ではないかもしれない
義務教育の範囲なら「価値わからなくてもやっとけ」と自分も言うと思う。ただそれ以上となると何とも言えない
言いたいことがあるんだけどうまく表せない。
なんというか、人が問題に直面したときに使えるのは既存の知識だけなので、必然的に今まで勉強した内容を使わざるを得ないんだと思う。そうなるとどこかのタイミングで価値も分からず勉強した内容が役に立つ場面が出てくるんだろうけど、そんなの数十年生きてれば絶対そんなの出てくるでしょと思う。じゃあその勉強した時間を学校と全然関係ない勉強や活動に捧げていたらもっと違うことができてた可能性だってあるので、これはどこか都合のいい自己正当化にも感じる。たぶん学校のカリキュラムを全とっかえしても同じようなこと言ってる気もする
むしろ考えるべきなのはどんな内容を勉強すべきかとかそっちなんじゃないかと思う。
もうちょっと整理したい
わんど.icon
若い人にこういう伝え方はしたくないなって思ってます。
なんていうか「ズルい」
価値はよく分からないが年長者がいいと言うのだからひとまず勉強してみるか
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そう、
勉強したほうが良いことを経験から語る人は、
今の勉強をした自分や、
もっと色んな勉強をしていた自分
と
今の勉強をしなかった自分
◯◯の勉強をしなかった自分
を比べがちだけど、
勉強すればするほど賢くなる、
みたいなモデルが
前提にあって、
それを無自覚に適用しているのかなと思う。
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基本的に人の話を素直に聞ける人のほうが伸びるとは思うんだけど、
勉強については往々にして年長者サイドに
「自分がやってきたことだから間違ってない」
っていうバイアスが掛かってるので
そのまま適用していいのかと思っちゃう。
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