データの参照可能性
どこかの記憶媒体にデータが書き込まれて後世にわたって参照可能な状態で残っていること。
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インターネットの情報が残らないと考えている人は多い。
1990年代や2000年代初頭のホームページはほとんど見られなくなっているし、
twitterやblogもサービス終了してしまったらほとんどの情報は消えてなくなってしまう。
ただ、これは普段情報に触れている我々から見た考え方であって、
歴史を紡ぐには十分すぎる情報を持っているのではないか。
枝葉は消えてしまうのかもしれないけど、
例え、現在のネットの情報の 0.1%だけが残ったとしてもなお膨大な量の情報が参照可能ではないか。
インターネットの普及で考古学、つまりインターネット以前の情報の参照も何倍も進んだという。
「歴史に残らない」というのは
情報がなくなることよりも情報に埋もれることの方を考慮すべきかもしれない。
埋もれないためには、他の情報からの言及を増やしておくこと
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ただ、一方でデータを残したいのであれば、プラットフォームは選んだほうがいい。
Githubはアーカイブフィルムを使って1000年先まで残そうとしているし、
アーカイブ化には非常に力を入れている。
人類の知識と遺産を保存してそのコレクションを公開するという目標から、
燃やされない限り(焚書) は情報を保存しつづけられるはず。 特に特典があるわけではないのですが、InternetArchiveには寄付してます。わんど.icon
ただ、クローラーなのでプラットフォーム側で拒否することができて、
noteはIP流出事件のあと、クロールを拒否するようになったらしい。
なので、noteはプラットフォームが滅んだらバックアップのないデータは消滅する可能性が高い。
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ソーシャルゲームはその性質上、サービス終了した後、
後世に残すのが難しいものとなっている。
残しやすい媒体というのはやっぱりある。テキストが一番強そう。
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どうしても後世に残したいデータがあれば、
色々なプラットフォームを使って、色々なところにコピーをとって、
「どこかに残っている状態」
は作れると思う。
P2P、ブロックチェーン、分散型データベースを使うのも良いかもしれない。
出版して国会図書館においてもらうのも良いかもしれない。
けど、情報が記録されていることをもって「生きた証が残っている」と言って良いのだろうか。