魯迅 野草と雑草
比較文学的なアプローチは思いがけないつながりの可能性が見えてエキサイティングだけれど、「それほんまか?」と疑いたくなることも多く、説得力ある論証がむずかしそうな分野だといつも思う。
徐志摩自身、そして、表面的にはタゴールを否定し続けた魯迅もまた、タゴールの散文詩から某かを感得していたかもしれない。(p106)→徐志摩の「夜」と魯迅の「影の告別」には共通点が見出だせるが、そこからさらにタゴールから魯迅への影響まで読み取るのは難しいのではないか。「両者の間には一定の反応関係が伏在していた」(p107)というのも、タゴールが魯迅や徐志摩の影響を受けたとは思えないので、一方向的な影響関係に留まるのではないか。と、少なくともこの論文を読んだ限りでは思える。 "いつも「暗黒と虚無」のみが「実在」であると感じ、しかも、どうしてもそれらに対して絶望的な抗戦をやる"(p114)
「掙扎〔もがき〕」とは、竹内好がその著『魯迅』(一九四四年)の中で、魯迅の生き様を最もよく表すものとして提起した、魯迅文学を象徴する一語であった。(p124) この敗北を誰よりも確信しながら絶望的な抗戦に身を投じる姿勢が、高潔な女騎士のようであり、私が魯迅を好きな理由なんだよな。だからこそ負けた時に一際輝く。魯迅≒アグリアス論。 日本留学から帰国して故郷の紹興で教師をしていた時の魯迅の趣味が「植物採集」だったというのが、田山花袋『田舎教師』との相似を感じて面白い。「ぼくはとことん無精になって書物を手にすることもありませんが、ただ植物採集は昔どおり、(……)これは学問をするのではなくて、酒や女の代わりです」(p166) 挫折して地方に逼塞したインテリが田舎でも続けられる、ハイカラな科学的趣味が植物採集だったのかな。「植物採集といっても農夫には理解できないから薬草取りと言ってる」みたいな記述もある。 丸山昇の佐藤春夫評「あそこでやっぱり救いがないと思うのは、見方が一人間的に汚らしいんですよね」(「座談会 佐藤春夫と中国」からの引用、p200)。ストレートな悪口で笑ってしまった。 詩芸術に強いこだわりを持つが故に自らの創作が完全なオリジナルではないことに負い目を感じ、私は詩人ではない、創作は書けないと言い続けた、魯迅の「創作コンプレックス」。魯迅ほどの大作家でも陥るのだから、いつの時代にもありふれていて普遍的な悩みだ。 中国では詩人・魯迅という評価が大勢を占めていることは初めて知った。日本においては多くの人が最初に触れる魯迅作品が小説作品「故郷」である故に、魯迅は小説家であるという認識が一般的だろう。毛沢東による詩人・魯迅評価が実際には詩をあまり作らなかった魯迅の実像を歪めてきたというのはあり得そうな話だ。