能力値の再振り分けは不可能か
以下のページで見立てられていた能力値は、ゲーム世界では再振り分けは不可能だが、現実ではどうだろうか。
実際に、生きていてそういうパラメータに数値を割り振っているわけではない(割り振っていたら楽しいのだけれども)。
では何をしているのか。言い換えれば、能力値というメタファーは、何を包括しているのか。
ニューロン・ネットワークの強化(ある処理に長けること)
経験の蓄積(パターンの引きだしを増やすこと)
この二つの統合的なイメージの見立てが能力値であろう。
たとえば、「吟味力」が増すとは、吟味することに時間を費やし、脳がその処理に慣れ、複数のパターンを得ることで、より高度な、より複雑な、より巨大な「吟味」に道が開かれることを意味する。
だから、吟味力が低い人でも、その時点から吟味に取り組むならばいずれはその能力は向上するはずだろうし、また、他の能力で磨いたニューロン・ネットワークも何かしら貢献してくれる可能性がある(その意味で、能力は完全に排他とは言い難い)。
しかし、以下のようなパラメータの状況の際に、吟味力を上げようと思えるかどうかは疑問である。
吟味力:3
拡張力:50
伝達力:50
自覚の面でも明らかに得意なものは後者二つであり、マタイ効果と同じように人は得意なものをどんどん得意になっていく。 また上記が、単に先天的な能力だけでなく、ある開発を経て得られたものであれば、その人の選好がある程度は関係しているだろう。つまり、当人が「拡散力のある人カッコイイ」と思っている、といったことだ。そのカッコこよさの評価軸が変わらないと、吟味力を鍛えようと思うことは難しい。
そしてこの二つは絡みあう。カッコイイと思った能力を鍛え、鍛えた能力によって得意になり、それで自我像が安定し、ますますその能力を鍛える方向に意志が向き、そうでない方向は無視するようになる。
その意味で、能力セットの再配置自体は可能であっても、それを実践するにはさまざまな契機的問題をはらんでいる、ということは言えそう。
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全体通じてその通りだと思います。
再配置の可能性の乏しさは、能力の振り分けにアイデンティティが絡みすぎていることに起因する気がしていて、それが変更されるには相応の大事件に遭遇する必要があるのかもしれません。