異なっているが似通っている
rashita.iconは、タスク管理の為にタスク管理をすることはないし、知的生産の為に知的生産をすることもない。その一つ上に階層があり、それぞれの行為はその下位に位置づけられている。その上位階層にどのようなラベルを当てればいいのかは長年探究課題であり、それがいまのところ「知営」(知の営み)と言えるのではないか、という仮説を提出できるレベルになっている。
一方で、/taskmanagementに参加して思ったのは、私が上位階層だと認識しているその場所に玄武さんはタスク管理というラベルを与えているのではないか、という直観である(直観なのでまったく違っているかもしれない。 untitle
タスク管理
知的生産
rashita.iconはuntitleに知営を入れ込もうとしており、玄武さんはタスク管理をそこに入れている、という感じ。玄武さんはその場合、下位にもタスク管理があるが、それは重なり合って認識されているか、別の名前が当てられている可能性がある。
どちらにせよ、見据えているものは同じだけども、そこに与えている名前が違っているのではないか、という感覚がある。
untitle
タスク管理(←ココ)
知的生産
上記の「ココ」にこだわっている人だと誤って認識してた可能性が高い。しかし、先ほど書いたように、今私が持っている感覚は以下だ。
untitle(←ココ)
タスク管理
知的生産
与えるラベルが違っていても、注意を向けている階層は同じである、というこのような感覚があるからこそ、建設的な議論ができるのではないか、という予感がある。
立っている階層が同じという感覚
建設する為には土台が同じでないと始まらない
「異なっているが、似通っている」感覚はメタファーを使う上で必要ではないか?