何かを作ることで締める
コンビニでは、一日に一度(だいたい24時頃)に「レジ締め」(れじしめ)という作業を行う。
その日の売上げを確定し、クレジットカード売り上げ票などの補完すべきものとその記録の対応を確認し、釣り銭準備金をセットして(その日の売上げ分を抜き)、次の日の営業に備える(コンビニはこの作業の1秒後がもう次の日の営業日である)。
その後、そうしたデータを統合した売上げ日報を作り、本部へと送信する。
データ的な送信と、送付物などを送る為の封筒(的なもの)の作成がある。封筒的なものは、お弁当などの配送便が回収してくれる。
この構図は、「日報を作ることで、一日を締めている」とも捉えられる。
締めた結果として日報が作成されるのではなく、日報を作成する為に締める作業を行う、ということ。
GTDのレビューを含め、振り返り的な活動は概して「やりがい」が感じられない。仮にその理由の一つに「生産的だと感じられない」があるとしたら、何かを作るために振り返りを行うことでその問題を解消できるのではないか。
ここで重要なのは、その行為が本当に生産的なのかどうかは問うていない、という点だ。つまり、業務において付加価値を発生させているかどうか、という観点は採用しない。そうではなく、あくまで行為の当事者が「生産的なことをしている」と感じられるかどうかに注目している。
日報や週報などを作成することは「生産的なことをしている」という感覚を付与するのではないか。そして、その完成を持って、締めとすること。そういう儀式性を重視したやり方は、これまで(特にGTD近辺では)論じられてこなかったではないか。
日報はDaily reportであり、reportはre-portである
reは「後ろに」、portは「運ぶ」という語感(港という意味もある)。
つまり、私が新しく名づけようとしている行為は、振り返りであり、英語にすればReportingとなるだろう。 セルフマネジメントにおける日報は、自分による自分への報告書である