ページレベルのアトミック性と行レベルのアトミック性がある
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ニュアンス、方向性はこういうものだと思う:
だから動かすつもりがあるならそれらのしがらみを取り払った方が良い
一次元に読むための書き方だと自由に構成を変えて考えることの邪魔になる
だから二次元的に動かすことのできる断片(こざね)に、 他の断片に依存しない形で書いて
「二次元配置して考えるための部品」を作った方がいい
このくらい「小さい」ものをアトミックと呼ぶなら違和感はない
だが、複数の文章からなるページなどを「アトミック」と呼ぶことに違和感がある
「それ、めちゃくちゃ高分子の化合物では?!」という感じ
目を細めてページが一粒に見えるくらい認知の解像度を落とせばアトミックと呼びたい気持ちが少しわかる そうか、つまり違和感の発生源はこういうことだ
ある人が「アトミックだ」と呼ぶものの中に、別の複数の「もの」による構造が見える
アトムという言葉は元々「分割できない」という意味で世界の最小の構成単位を指して使われてきたもの
現実のアトムも事後的に内部構造が発見されたわけだし、レイヤーを限定すれば問題ないか
ページレベルのアトミック性のことを「アトミック性」と略したことによって、他のレベルでのアトミック性と衝突して違和感が生じたのだろう
WiKiにおいては、長く美しい文章へのコメントは難しい 細かい部分にコメントする度に、文章内の特定の箇所を指す為の引用や指示語が必要になる 話が直列にしか連鎖しない
切り返せるのは同じぐらい文章力がある人だけになってしまう
箇条書きなら、項目単位での簡単なコメントを差し込みやすい