GTDとシェイクの結合点
自信がないとき
なんだかもやもやした感じが残るときは、ナチュラルプランニングの手順をさかのぼっていくといい。方向性がはっきりしないまま「次にとるべき行動」ばかりに追い立てられているという人は多いが、そうしたときはそもそものアイデアに立ち返って「思考の整理」をしてみるといい。プランニングそのものが不明瞭な場合は「ブレインストーミング」で十分なアイデアをだし、もっと信頼できるプランにすることが突破口になるかもしれない。ブレインストーミングをしても思考がすっきりしないなら、「結果のイメージ」に戻るべきだろう。結果のイメージがはっきりしないなら、そもそもの「目的」を考えてみるとうまくいく。
「自信がないとき」と銘打たれたこの箇所から、GTDとシェイクを接続することが可能となる。 自分の人生や執筆活動において、全般的に自信がないならば、上記のような「さかのぼり」が例外的な手順ではなく、むしろ標準的な手順となり、GTDで行われる他のプロセスへとも広がっていく。
あるいは、人間の直観は毎日繰り返すようなこと、短期でのフィードバックが発生するような物事には適切に機能するが、長期なもの、フォードバックがないもの、統計的に考えないと適切な答えが出せない領域では間違うことの方が多い。そうした間違いを排除するのではなく、間違えた考えから出発して、少しずつ適切な考えと至るための方法としてシェイクを位置づけることもできる。
ikkitime.iconGTDが2002年、で例えば『リーン・スタートアップ』が2008年と考えると、当時はまだ「(よく検討された)プラン→実行」という感覚が強かった時期なんですかね。アメリカならなおさら。
rashita.icon今でも、自己啓発の文脈ではこの考え方がだいぶ強いのではないかと思います。スタートアップ、あるいはアジャイルなシステム開発においては「素早し失敗を繰り返す」が定番化しつつありますが、自己啓発でそんなことを言っている本は(少なくとも翻訳されているレベルで著名な本は)思い浮かびません。
ikkitime.icon……。
ブラックスワンも2007年なのに……。マックス老人は90年代なのに……
変わっていかないものなんですかね……
rashita.icon個人的な推量ですが、そもそも自己啓発から導かれるセルフマネジメントそれ自体が「管理欲求」にドリブンされているので、つまり、ある意志のもとで人生を統一的に制御していくことを望んでいるので(=自己のファシズム)、その欲求にマッチしたコンテンツには、行動経済学的な洞察はむしろマッチせず、「よくプランを検討すれば、そのプランは極めて素晴らしいものになる。なぜって意志が繁栄されているのだから」みたいな方向性の方がマッチするのだと思います。
別の言い方をすれば、トップダウンによる管理は自己のファシズムに非常にマッチする、となるでしょうか。
ikkitime.iconライフハックだったり大前だったり、「意思に頼るな、環境を変えろ」というのは、惜しい線まで行っていた?
それでも、目標の下方修正的変更を肯定的にとらえられるようになるスキームってのは、意外とないかもですよね。養生とか。
rashita.iconライフハックも、いろいろ自動化して自由な時間確保するぜ!みたいなノリのときはまだよかったのですが、自らの管理幻想を満たすためにハックを用いる、みたいな方向だと結局同じ穴のムジナ感はありますね。