Aでもあり、Bでもあるという状態
セルフマネジメントも、管理者としての自分と実行者としての自分が重ね合わせ的に存在していることになる。
どちらも、二つの極の中間的な(つまり混ぜ合わせてマイルドになった)状態ではなく、各々の極を維持したままで、それが重ね合わされている状態であることが特徴だろう。
分人主義とはまた違った意味で、言い換えれば自己をたくさんの他と接合する分子のネットワークとしてみるのではなく、あるときはAとして振るまいあるときはBとして振る舞うといった、量子的な存在として捉えること。 千葉雅也氏の『デッドライン』で示される「〜になる」ということも、そのような自己存在の量子的揺らぎとして捉えられるかもしれない。 このように多重な自己をみるとき(あるいはそれが確立されているとき)、そこには多重の物差しが存在することになる。物差しの単一性が失われる。結果、綱引きが生じる。それが暴走を抑制するのではないか。
排他的カテゴリーの見方が強く前に出すぎると、この多重な存在の視点を失わせる可能性がある。