生きることはスモールロールプレイの重ね合わせ
rashita.icon上の記事を読んでいて思ったのが、それが僕が考える「生きる」ことそのものだな、という感じ。
いわゆるペルソナ的な考え方と通じる
全人格的な「自分」という想定ではなく、それぞれの局面・場面・環境に応じて出てくる「小さい自分」
この「小さい」は全人格的なものと比較した場合の形容であって、実際はそれぞれの局面応じた「自分」があるだけ
一番極端なことを言えば「倉下忠憲」と「rashita」は異なる「自分」
同じ「倉下忠憲」の中にも違いがあるし、「rashita」も同様。
たとえばこれを、プログラミングにおける関数を小さく作ると比較してみるとどうだろうか。
rashita.iconということを考えてみると、「生きる」という言葉がその内実で何を意味しているのかも、話を聞いてみないとわからないことが多いのかもしれない。