タスクはリニアに並ぶのか?
人間の行動はリニア(linear)である。
しかし、「人間の行動はリニアである」とはどういうことか?
私たちの意識が(つまり行動を認識する仕方が)リニア、ということの言い換えだろうか。
では、タスクはリニアに並ぶのだろうか。
つまり、タスクというものの内在的な属性から、それを整理したら自然にそれはリニアになるのだろうか。
タスクが「実際に取れる具体的な行動」であるとする。
プロジェクトAがあるとして、まずXをやって、次にYをやって、最後にXをやって、という段取りを考える。それは線形なステップを必要とするので、その場合は、「内在的な属性から、それを整理したら自然に」リニアに並ぶことになるだろう。
しかし、Xをやって、その結果がGならば次にYを、そうでないならば次にY'をやる、という場合はどうか。
条件分岐
この場合でも、プログラミング言語がそうであるように、記述としてはリニアに書けるが、情報としてリニアに並んでいると表現できるだろうか。
ikkitime.icon組み合わせ数の爆発
また、この「プロジェクトA」をズームアウトして、「一日の行動」に置き換えても同じことは言える。一日の行動を段取りするとは、だいたいは線形のステップに配置することを意味するし、その結果の記述もまたリニアにはなる。
しかしそれは、タスクのすべてを表しているのだろうか。
たとえば、今自分が抱えているプロジェクトを洗い出したとする。
https://gyazo.com/da1c7a6448bf93cb11dba343d4abc323
(画像が横になってます)
このように空間的に配置されるのは、rashita.iconにとっては自然なことだ。
一方で、各プロジェクトの中のタスクは箇条書きリストが自然であって、それを空間配置にするのは奇妙な感じがする。
この二つの差異は何か。
少なくとも、この文脈に置いても、やはりタスクはリニアに並んでいる。
あるいは、定義を逆転させるべきか。つまり「それをリニアにしか並べ得ないものをタスクと呼ぶ」というような。
上記二つから少なくとも言えるのは、タスクは何かに属している、ということ。
プロジェクトに属している
一日の行動に属している
ikkitime.icon数学的真理と違って、タスクは人類がいなくなったら存在しなくなるもんな。
それは、「位置づけられている」ことも意味するだろう。
タスクとは認識された(意識化された)行動である、とも言える?
少なくとも、「タスク」という概念はそれだけ取り出してうんぬん吟味するのはあまり意味がなくて、むしろ「何かに位置づけられているもの」として扱ったほうが、はるかに実体に近いのではないかと想像する。