豆論文の問題
豆論文の問題
人によって適切な負荷は違う
campの「豆論文を書く」方針はcFQ2f7LRuLYP.iconには負荷が大きい 気軽に書けるまでには至らなかった
かと言って何も負荷を与えずに書き散らしてばかりだとよろしくない
「私の断片的な箇条書きから文意を読み取ってください」ということになってしまいはしないか?
当然「読み取ってほしいように読み取ってはくれない」「そういうことが言いたかったんじゃない」が発生する
発生していいんじゃないかと思う
それをみてまだ言葉を追加すればいいだけなので。
だいたい豆論文をきちんと作ったら誤解されずに理解されるかっていうと全然そんなことはないので〜
論文を作った後の質疑応答の方が大事…だったのかも
演習授業でも作ったレジュメから発展した話のほうが大事だったcFQ2f7LRuLYP.icon
そういう時は「わからないので書いてくれ」的なことを書くとよさそうkuuote.icon
了解ですcFQ2f7LRuLYP.icon
豆論文の問題
井戸端のときはそこまで感じなかった
なぜか抑制されている
「ページが豆論文であるべき」というルールによって文章中のキーワードがページのタイトルになることが困難になってるからじゃないかな?nishio.icon
あのプロジェクトで「interplay」ってタイトルのページができることをイメージできない
たしかにcFQ2f7LRuLYP.iconkuuote.icontakker.icon
あのプロジェクトにとって主要概念であるはずの「atomic」ですらその名前のページがないくらい メタファーの発展に注目するくらしたさん個人のスタイルと、言語化されてる「豆論文にすべき」が矛盾してるんだよなぁ
生まれたてのメタファーはあやふやで、事後的に育っていく
枝が伸びたり実が大きくなったりするのを待つ過程