オオカミになりたい
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佐藤雅晴のベストの仕事は、彼の関心事であった「光景」に関するものではなく、オオカミの着ぐるみをロトスコープで描いた「オオカミになりたい」だと思う。 それは、ロトスコープという手法がもつ「正直さ」が引き写してしまった「骨格」が見えてしまうことによって、ヒトとオオカミの間のどうしようもない差異があからさまにされてしまうことによる。
百瀬文「Jokanaan」において、モーションキャプチャされたサロメに、しかし「男性性」を見出すことが難しいのは、だから「骨格の補正」に起因するのであろう。 加えて、映像においてモーションアクターは「声」を奪われている。声は必然に、それを発する主体の身体性(性別や成幼といった楽器としての「大きさ」や、緊張/弛緩という「硬さ」)を伝えてしまう。