多様性と多元性
ただ広がれと言っても、既存の軸の周りにしか広がらない
たどり着けずに死ぬから
新しい軸を育てることで、その軸方向の広がりも強くなっていく
連帯
つまり多様性というとき、暗に既知の次元圧縮済み空間の多様性を仮定していて、その外の広がりを意識できてない?
主観的にこの上なく多様だ、という状態をつくっても、一つメタに見ればごく狭い平面上に密集してしまっているかもしれない
多元性は、そのバイアスに自覚的
既知の多様性をどんなに頑張っても真の多様性に向かえない
この構造どこかで?
個性、か?
それだけじゃないな
もっとドンピシャなやつがあった気が
理論上、多様性は多元性を含む
しかし、真の多様性は認識できない
人間は現実を捨象する
だから、多元性のない多様性が横行する
これが不十分
多様は状態に、多元は解釈に言及する言葉
解釈に意識を向けない限り真の多様性は表れない
多様性は還元主義的なのか?
多元性はあるがままを残そうとする
理想に過ぎない
多様性は事実だから力を持たない
不思議な感覚だ
現実に力を持たないから、魂に作用する、魂に作用するから、現実に力を持つ
多様性を認める、とは、重力があることを認める、みたいな
認めても認めなくても同じ
多元性を認める、は、信仰的だ
嘘でない限り行動が変わる
ところで多様性が大きいほど良い、は反対・懐疑的tsuzumik.icon
多元性を認める、とは、補助することではない、No dealすることだと思う が、野性に還りたいわけでもない
マジョリティだけをケアすることと、マジョリティ以外も補助することの間に
マジョリティは事後的だ
正のループで暴走させてはいけない
練習として書いてみよう
多元性は信仰である 5
元とは物差しである 4
オードリータン氏から引用 1
pluralityから引用 1
物差しとは解釈である 4
再び引用 2
飛躍大きいか?
ここも引用できるはず 2
多元性とは、単に状態の多様性を表現しない。一回りメタなレイヤーで、物差しの多様性を保ちたいという祈りの込められた概念である。すなわち、多元性とは、自らの解釈の豊かさに対する美意識のことであり、同時にその善性への信仰である
今ここにいる私たちの今、私、開かれた心のことが祈りや信仰という言葉で捉えられようとしている 多様だよねは他人事、多元だよねは自分事
誰かの軸で多様かどうか、つまり評価の声など不要なのではないか