多様性は「単一の元が広がりを持っただけ」とも言える?
ちょっと嫌味な言い方をすると、多様性は「単一の元が広がりを持っただけ」とも言えます。
数学で例えると、多様性は実数なのに対して、 多元性は多元数1、例えば複素数のようなものです。 どちらが広いかは自明です。 もちろん「多元性」があっても「多様性」がなければいけませんが、 「多様性」があれば十分だと言うことではありません。 メモした当初は特に感じなかったが、今読み返すとよくわからない説明takker.icon
なぜ多様性は「単一の元が広がりを持っただけ」と言えるのかがわからない
メディアで使われている多様性からは、単一の属性ではなく、一人ひとりが違った属性を持っているという印象を受ける
それは複数の元ではないのか?
なにげに赤リンクだった
数学のことはわからないのですがtsuzumik.icon
多様性は、同じ物差しの上で1や-1があること
1=-1は矛盾
多元性は、ある物差しで1のものが、同時に別の物差しで-1でもありうること
物差しが違うので矛盾ではない
この1と-1は記号で繋ぐことができない?
(整理中)
座標変換の概念でできますtakker.icon
ある座標系$ Aで$ (1,2)と成分表示されるvector$ \bm aがあるとする
$ Aを反時計回りに90°回転した座標系$ Bだと$ \bm aは$ (2,-1)と成分表示される
$ (1,2)=(2,-1)は矛盾する
座標系を考慮してあげれば$ =で結べる
$ Aを構成する基底vectorsは$ \bm e_1=(1,0),\bm e_2=(0,1)、$ Aを構成する基底vectorsは$ \bm e'_1=(0,1),\bm e'_2=(-1,0)である
これを用いると$ 1\cdot\bm e_1+2\cdot\bm e_2=2\cdot\bm e'_1+(-1)\cdot\bm e'_2と等号で結べるようになる
「座標系」が「物差し」に対応する
$ \bm aは物差し$ Aだと$ (1,2)であり、別の物差し$ Bだと$ (2,-1)になる
物差しを無視して$ =で結ぶと矛盾する
使っている物差しを明示してあげれば$ 1\cdot\bm e_1+2\cdot\bm e_2=2\cdot\bm e'_1+(-1)\cdot\bm e'_2と記号でつなげる
ただ、ある物差しで1のものが、同時に別の物差しで-1でもありうるという解釈には、「座標変換」というより「成分の抽出」のほうがしっくりきそうですtakker.icon
成分の抽出:$ \bm aの座標系$ Aにおける第1成分は$ 1、第2成分は$ 2、みたいなこと
この場合、物差しで測る前のものを、測ったあとの数値から復元できるとは限らない
「$ \bm aの座標系$ Aにおける第1成分が$ 1」という情報だけでは$ \bm aを復元できない
うん、座標変換のたとえはやっぱり合わないですね。一旦無視してください
私は1だけどあなたは20なんだね、は不十分で暴力的な多様性?
違った属性を自分の物差しの中で認めるだけでは不十分で、その属性の評価そのものの多元性が必要?
ありがとうございますtakker.icon
物差しは、対象からスカラー値を取り出す操作みたいだなと解釈しました
例えばベクトルの長さを取り出す操作
ベクトルは様々な向きがあるが、それを無視して長さだけで評価する
そうではなく、他にもたくさんの評価手法を用意する
しかしそうすると、ますます多様性との違いがわからなくなってきました
多様性が一つの物差しだけで評価することを謳っているとは思えない
次元圧縮、しっくりきますtsuzumik.icon tsuzumik.iconの解釈
自然の多様性は無限次元
多様 ならば 多元?
そもそも元が存在しない?
人間が多様性を解釈するときに次元圧縮が起こる
恣意的、無意識の偏り、バイアス
観測として最大限多様に見えてても、実はある種の平面(一元的)に集中しているかも
多様性という言葉を単に使うとき、このことに無自覚=不十分
人間の言う多様性は多元性より狭い
多元性は、この次元圧縮に自覚的
次元圧縮の種類の多さに言及する言葉
他の解釈
多元性への多元性が生まれているtsuzumik.icon
新しい概念の名前は大切なものだから、文脈で使い分けられるレベルまで馴染ませたい
事実対解釈としての区別?tsuzumik.icon
解釈
多様性は現実に存在するもので、多元性は解釈に存在するもの?
系としての区別?tsuzumik.icon
多様性は比較可能、多元性は比較不能
緩やかにつながって感じるが言語化されてこない