バナナのある山
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母方の祖先の墓は山口県の瀬戸内側の山の中にある。母につれられて帰省し、墓参りをしに山に登った。登ったといっても険しい山というわけではなく、軽いハイキングのようなものだ。ただ、墓参り以外には誰も立ち入らない場所なので、毎年毎年道が荒れ果てていた。日も射さないような鬱蒼とした場所で、シンとしてむせるような湿気がたちこめている。倒木や、まるで僕たちを歓迎するようにデコレーションしたような大量の蜘蛛の巣なんかもあり、まったくもって楽しい思い出ではない。そんな道を半袖短パンで歩いたときには帰省中ずっと痒くなるような虫刺されにあってしまう。それを防ぐために必ず長袖と長ズボンを着用し、腰にはひとりひとつ蚊取り線香を装着する必要がある。その見た目が死ぬほどにダサい。いとこたちは祖父母と一緒に住んでいたので自前の衣装をまとっていて、そのギャップも本当に嫌だった。あったこともない、誰だかは知っているけれど、それ以上でもそれ以下でもないひと、というより概念、というより体系というか知識というか作法とか儀式とかそういうことのために労力をさくのがダルかった。
そんな記憶が広い庭の大温室に入った瞬間に一気にフラッシュバックした。湿った土の匂いと空気、植物の音、ムッとした雰囲気が僕を一瞬にして山口の鬱蒼とした山のなかに連れ戻す。 それはもう嫌な思い出ではなかった。僕の記憶の夏の時期の大切な要素のひとつだと気がついた。祖父が今年亡くなったというのも大きいと思う。このあたたかな湿気を吸い込むたびに懐かしく、落ち着き、健康的になれる。
その新鮮な変化に感動しながら大温室をあるいているとバナナの葉っぱがあらわれる。実は入り口からもすぐに見られるのだけど、ディテールをみるチカラがなかった最初の頃、その葉っぱに強烈に感動した。バナナの葉っぱ。めちゃくちゃ巨大で、それを掛け布団にして寝られるんじゃないかというサイズがある。それが1枚ではなく50枚以上つけた木が、天井まで届くのではないかというスケールで目の前にあらわれる。
圧倒。俺はなんてちっぽけなんだ、と思わされる。そんな衝撃を受けている間にも、目の前のバナナは人間に知覚できない速度で変化している。そのことに励まされる。
だから時間があればこの山にくる。そして圧倒されて、癒やされて、街に出る。