ニュー・ダーク・エイジ
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私たちはすべてのことを理解してはいないし、理解できないが、考えることはできる。十分な理解を主張したり要求することなく考える能力は、新たなる暗黒時代を生き抜く鍵である。なぜなら、これから見ていく通り、理解することはたいてい不可能だからだ。
哲学者ティモシー・モートンは地球温暖化を「ハイパーオブジェクト」と呼んでいる。私たちを取り囲み、包み込み、巻き込んでいるが、文字通り大きすぎて全体が見えないものだ。ハイパーオブジェクトはたいてい、他のものへの影響を通して知覚される。――溶けていく氷床、瀕死の海、乱気流にもまれる大西洋横断便。ハイパーオブジェクトは私たちに直接影響を与えるので、個人的なものとして知覚してもよいが、科学理論の産物だと想像しても良い。事実、ハイパーオブジェクトは私たちの近くや測定の外に立っている。私たちがいなくても存在する。あまりに身近ながらとても見えにくいので、私たちが合理的に記述する能力や、伝統的な意味で取得したり克服したりする能力に反している。気候変動はハイパーオブジェクトだが、それだけでなく各放射能も、進化も、インターネットもそうだ。 ハイパーオブジェクトの主な特徴の一つに、こんな事がある。ほかのものに付された痕跡によってのみ知覚されるので、ハイパーオブジェクトをモデル化するためには、膨大な計算を必要とする。それはネットワークレベルでのみ認識が可能で、時間だけでなく、莫大な分散センサーシステム、エクサバイト級の空間出来なデータと計算を通じてのみ知覚される。こうして科学的記録の管理は超感覚的知覚(ESP)の一形態となる。ネットワーク化され、共有化され、時間旅行をする知の生産だ。この特徴はまさしく、ある種の思考にとっては、タブー視されているようなものだ。無形で無感覚のものに触れられ感じられると主張しておきながら、そのあとで思考不能のものとして捨てるようなことだ。気候変動の存在についての議論は、じつのところ、私たちが何を考えられるかについての議論である。 「過去とは。とても人種差別的な場所である。そして私たちは人工知能を訓練するために、過去からのデータしか持っていない。」
https://www.youtube.com/watch?v=JTlGFsP4JeQ
悪夢のようなシーンだが、それは新たなる暗黒時代の状況を体現しているように見える。視界はどんどん開けているのに、主体性はかつてなく低下している。世界についての知識が増えていく一方で、世界についてできることは減っている。その結果として生じる無力感は、私たちにその過程を再考する間を与えてくれるのではなく、私たちを、より一層のパラノイアと社会の崩壊へと落とし込む。さらなる監視、さらなる不信、権威に対する絶対的な信頼から生まれた状況を改めるかのようなイメージと計算の力へのさらなる固執。
監視は有効ではないし、正義による暴露も功を奏しない。どちらの側かを決める最終弁論もなければ、私たちの良心を慰め、敵の気を変えさせる決め手となる陳述もない。決定的証拠も、完全な立証も、明白な否認もない。グローマー応答は、無頓着な官僚による死語ではなく、私たちがはっきりと表現できる、世界に対する最も正確な描写となっている。 ブレクジット運動、アメリカ大統領選、そしてユーチューブの心をかき乱す深淵に共通しているのは、さまざまな疑惑にもかかわらず、結局のところは、誰が何をしているのか、彼らの動機や意図は何なのかを知るのが不可能だということだ。ひっきりなしにストリーミング動画を見たり、近況アップデートやツイートをスクロールして読んだりしながら、何がアルゴリズムで生み出されたナンセンスなのか、あるいは広告費を生み出すために精巧に作られたフェイクニュースなのかを区別しようとするのは無駄なことだ。
これが世界の進歩すべき道筋だと、誰かが決めたわけでもない――誰も新たなる暗黒時代など望んでいない――けれども、それは私たちがどのみち築いてしまったものだから、いまやこの時代に生きていかざるをえない。
フェイクニュース、ポスト・トゥルースを横断的にとらえて、テクノロジーをみつめている。あまりにも巨大で全貌を把握できないものを考えるきっかけを与えてくれる。
We only have to think, and think again, and keep thinking. とのこと
不可知なものにどう取り組むかについて。