思考スピードが速いことの功罪
思考速度が速いことは、一般的にすごいいこととされている。ありとあらゆる要素がある中で、社会一般的には、最も重要な能力の一つであると思われている。僕もかつてはそう思っていた。少なくとも仕事を始めてから4年くらいはそう思っていた。なんならすごい憧れていたし、頭の回転を高くするための、怪しげな本や記事のtipsを読みあさっていた時期もあると記憶する。でも最近、頭の回転の速さそれ自体は、全然重要ではないどころか、むしろ弊害もある可能性を否定できない気がしてきた。(僕はゆっくり思考速度の持ち主なので、そのポジショントークというか、自己保身的な要素があることは否定しない上で) あまり重要ではない理由
思考速度が速いということは、突き詰めると論理的な正解に至るまでのスピードが速い、ということにつきる
論理的な正解、というのは、結構この時代表層になりがち
ロジカルティンキングというのが、世に溢れてる
詳しい人有識者だとか、先行者にきけば一瞬でわかる
AIやデータの民衆化による
どちらかというと、そもそもの問いを立てる能力であったり、そもそもの問いの方向性を定める意志の方が代替性が低い。 そして、結局正解がわかったとしても、少なくとも事業を何か作っていく、という文脈においては、その正解までの道筋を励行することの難易度が非常に高い。それが差を生み出す。 逆に重要なシーン
思考速度が全く重要ではない、というつもりは全然なくて、当然それが非常に強い武器になることもある。
パッとの第一印象で、この人は賢いな、、ってなる。すごい分かりやすい優秀さの指標ではあると思う。
人とのコミュニケーションそれ自体が提供価値になる場合、威力を発揮する
コンサルティング系
極論、芸人とか
カウンセラーみたいな
クライアントワーク系
むしろ弊害とはどういうことか(すごい曖昧、また考える)
速すぎると、安直な解に満足してしまう節があるのではないか?
言うなれば、深さと速さが両立しにくい、みたいなお話。
愚直、になりにくい。僕が目指すのとは逆の、馬になってしまいやすい、のではないか
文章力について
僕の周りの狭い観測での話だから、一般性がどこまであるのかは全く保証できないのだけれど、頭の回転が早くてすごい人は、文章を書くことを非常に苦手としていることが多いように感じる。ここでいう文章を書くというのは、論理的な構造を持った簡潔な文章、とかではなくて、文学的表現とは言わないまでもちょっと情緒的な人の心を動かすような文章のことである。
参照
朝倉さん
「頭の良さ」と「メンタルの強さ」は全く相関せず、起業家やリーダーにより求められるのは主に後者です。
どれだけ頭脳明晰でも、簡単に心が折れる他責思考の評論家には経営は難しい。
「頭の良さ」とは現代社会において最も過大評価された一特性だと感じます。
そもそも「頭の良さ」って何?
ここでいう、頭の良さは、思考速度が多分に含まれているかなと