ソロ活の極意
最近気づいたのだけれども、僕はかなり一人で行動することが好きみたいである
元々、小さい頃から一人で行動、ソロ〇〇みたいなことをすることに対しての抵抗はなかった
でもそれは、積極的にすごいしていたというほどでもなくて、なんかこれしたいけど手頃に誘う友達もいないし、まあ一人で行くかー、くらいのテンションであった。(つまり、ただの友達いない人。。)
昔は、消極的ソロ活をしていたのに対して、今は積極的ソロ活をしている
新しい人とお話したり、友達とどっか出かけたり、遊んだりすることも非常に楽しい上で
開かれた心とその意義を僕は掲げていて、それはそれで非常に大事
一人での活動でしか得られないエネルギーというものがあるなと。MPの回復
なので、じゃあ友達と海に行こう、となったり、旅行行こう、ってなったりしても、現地集合、現地解散とかがすごい僕的にはしっくりくるのだよね。
一人行動の意義
じっくりと自分に向き合うことができる
普段どのようなことを考えならが生きているのか、なんのために過ごしているのか、僕は何を目指しているのか。自分の意志はどこにあるのか、ということについて深く向き合える
メタ認知の機会
他者といる時、私たちの注意は他者に向かう。誰かと一緒にいるということは、そこに注意が向かうということだ。人間の意識は、外に向かっている間は内側には向かない。寂しさはなくなるかもしれないが、自分と向き合うことはできない。自分を知るためには、他者との関わりを断つ時間が必要だ。自分自身を理解し、自分の見方の癖に気がつくには自分の内側に目を向ける必要がある。とても行動的で社交的なのに、自分のことを驚くほどわかっていない人がいる。それは外的世界を理解することと、自分の内側を理解することが根本的に違うからだ。
熟達論
でも面白いのが、そうやってあえて積極的に一人でどこかに行ったりした時に集団で楽しそうにいる人たちを見ると、なんか楽しそうでいいなー、寂しいなー、なんて思ったりするのである。
谷川岳を昨日登った時に、ロープウェイの周辺でみた、大学生集団とか
それもまた人生である。隣の芝生は青い、ってか?
孤独は山にはなく、街にある、ってことだ。
うーん、思うに、集団でのワハハ、キャキャの楽しさ、ってのはすごい直接的でわかりやすいものなんだよね。一方で、一人の楽しさ、ってのは自己と向き合う時間、みたいな話で、じっくりしていて表面的にはその価値は分かりづらい。そのじっくりしているときに、直接的な楽しさに触れると、そっちに感情が持っていかれる。そういうものなのかな、とふと思った。
鈍色の輝き