守破離
規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな
(規則は守らなければならないが、例えその規則を破ろうとも離れようとも「本(本質)」を忘れてはならない。)
日本国大辞典
「しゅ‐は‐り【守破離】
剣道や茶道で、修業上の段階を示したもの。守は、師や流派の独自な教え、型、技を確実に身につける段階、破は、他の師や流派の教えについて考え、良いもの、望んでいる方向へと発展する段階、離は、一つの流派から離れて、独自の新しいものを確立する段階。
角川茶道大辞典
「守破離 【しゅはり】
茶湯の修業段階を表現した成語。本来は『甲陽軍鑑』などでいわれた兵法用語であった。入門から免許皆伝を経て独立していく武道の成語を茶湯の修業上における語として取り入れたのは横井淡所の『茶話抄』であった。同書では「守ハ下手也」といい、「守株待兎」の段階だという。次いで「破ハ上手也」といって、「見風遣帆」だと説明する。最後に到達するのは「離ハ名人也」であって、「応無所住而生其心」の状態だという。(中略) かくして『利休百首』の中に追加されて「規矩(きく)作法守りつくして破るとも離るるとてももとを忘るな」の一首が出現する。能の「序破急」などとともに芸術上の成語としては至言だといえよう。」 疑問
一般的には「守→破→離」の順に学ぶ意味とされているが、利休道歌の歌では順番を守れとは一言も述べておらず、守・破・離のどの状態でも「本質を忘れてはいけない」という戒めが書かれているのみ。
守・破・離の順番で云々というのは、後世の人々の解釈に過ぎず、むしろ順番を守らせるために意図的に解釈したのではないか?という仮説をたてている。
逆に言えば「本質を見抜く」ことができれば、守にも囚われないし、本質がわからなければ、いくら守を守っていても意味がないということ。
「型」を漫然と行うのでなく、その「型」は何が本質なのかを常に感じようとすることこそが本質ではないか。
まぁこれも解釈のひとつなのですが...tkskkd.icon
海外の守破離の認識調査
"It is known that, when we learn or train in something, we pass through the stages of shu, ha, and ri. These stages are explained as follows. In shu, we repeat the forms and discipline ourselves so that our bodies absorb the forms that our forebears created. We remain faithful to these forms with no deviation. Next, in the stage of ha, once we have disciplined ourselves to acquire the forms and movements, we make innovations. In this process the forms may be broken and discarded. Finally, in ri, we completely depart from the forms, open the door to creative technique, and arrive in a place where we act in accordance with what our heart/mind desires, unhindered while not overstepping laws."
("私たちが何かを学んだり訓練したりするときには、「守」「破」「離」という段階を経ることが知られています。これらの段階を以下に説明します。「守」では、先人の作った形を体に吸収させるために、形を繰り返して自分を鍛えます。そして、その形を崩さず、忠実に守っていきます。次に、「破」の段階では、自分を律して形や動きを身につけた後に、工夫をします。その過程で形を崩したり捨てたりします。最後に「離」の段階では、形から完全に離れ、創造的な技術への扉を開き、法を越えない範囲で、心のままに行動するところに到達します。)
合気道の遠藤氏の言葉として定義がのっている
つまり、海外での「守破離」とは、茶道の教えとしての守破離そのものではなく、利休道歌から、武道(合気道)において修行のプロセスとして意味づけされた現在広く言われている「守破離」の概念に既に変わっている。 『茶の本』で海外に茶道を紹介した岡倉天心は、茶の本の中では守破離には触れていない(kindle検索調べ)(2021/6/17) アリスター・コーバーン氏の守破離解釈(2021/11/16)
合気道における守破離
合気道の開祖、植芝盛平氏は「守破離」をどう捉えているのだろう?というのを以降に調べる予定(2021/6/17) 塩田剛三の合気道人生という本によると、古典的な達人の教え方で、一度型を見せたら、同じ型をしない、弟子が見せても「結構や結構や」といい現代武道のような細かく手取り足取り教えたり、細かな技術体系があるような教え方ではなかったようだ。メモをしても怒るため「なぜ教えてくれないのか」と弟子が問うと「教えてしまうと、型にはまってしまいそれ以上伸びず、お前の為にならない」とけむに巻いていた。この為一握りの人間はかなり強くなれるが、才能のない人間は全く伸びず辞めていった。塩田はこれではダメだと思い、誰でも上達しやすいように、難解な言葉を避け、わかりやすく上達しやすい技術体系を心掛け、教えた。初期のころ合気会が塩田の養神館に人気面で後塵を拝していたのはこのためである。
この逸話をみるに、植芝盛平氏が「守破離」を説くとは思えない。
盛平の思考がいわゆる神懸かりの傾向を強めてゆくのは、この頃からだろうが、それはまた武田惣角の境地にもはや囚われない、独自の心境への覚醒あるいは覚悟を語る逸話ともいえるだろう。だがこのいささか神秘的な解釈や、超人的な武勇伝が、やがてその後の合気道から、技法としての術理の掘り下げを回避させる便法となっていった面もまた、否定できないだろう。実際、いささか人間離れするまでに研ぎ澄まされた知覚能力は、それだけでは、対峙する相手を手玉に取るような、 体術における圧倒的な卓越を、そのまま説明するものではないからだ。
大東流合気柔術から離れていった理由の推測について
植芝盛平氏は型をつくらず、植芝吉祥丸(二代目)、塩田剛三氏らが型を作ったと言う話
藤平光一氏によると、植芝盛平氏は、自らの技の伝達に際して、リラックスの仕方など本人が無意識にやっている部分については弟子にうまく伝達できていないと評していた。 川上不白
守破離は川上不白起源、という話(でも不白はブログ書いてないよw) 千利休の修行論
守破離の意味を知りたい
時系列の流れ
守破離の別解釈の一例
守ハ下手也
守るだけ
破ハ上手也
状況を見て”意識的に”応じ、変じる
離ハ名人也
”無意識”に応変す(出来)る”状態”
甲陽軍鑑
武田信玄をはじめとする武田家の歴史や、兵法心得などが記されている。
ここに「守破離」が登場するとあったので調べてみた
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