神託のアカウンタビリティとアクセシビリティ
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こんにちは、内閣官房IT総合戦略室の大橋 正司と申します。 古代ギリシアの人々は、重要な決断(だけではなかったようですが)をする際に神託を重視し、各地にある神託所へと赴きました。 有名なのはデルフォイの神託です。その名声が轟くほど、神託を求めて各地から人々が集まるようになる。そうするとデルフォイは情報が集約されるハブとしての役割を果たすようになり、神託の精度も高まっていく。こうして神託が政治的な意味合いを帯びるようになると、各都市国家は重要な政策判断を行う際に、使節団をデルフォイに送るようになります。 各都市から訪れた使者たちは、神託を一言一句違えずに国に持ち帰る必要がありました。トランス状態になった巫女から下された神託がどのような意味を持つのか、議会で解釈するためです。 そこで神託は書き記され、情報の伝達媒体としての役割を担うとともに、神託を下す側にも重要な基礎資料として蓄積されるようになりました。
これがアーカイブの始まりであり、遠く離れた情報にアクセスしようとする意思を人工物に固着させ、アクセシビリティを高めた最古の事例といえます(注2)。 もっといえばこれは、アカウンタビリティ(説明責任)の始まりともいえるのかもしれません。最初のアカウンタビリティは、政治の舞台で下位機関の人たちが上位機関の人たちに対して果たすべきものだったのです。 統治する(法律を作る)者のところには情報が集まってくる。孫子曰く「名君賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出ずるゆえんの者は、先知なり」。 古今東西、情報を制する者が全てを制する構造は、21世紀になった今でもあまり変わっていません。
しかし、過去と決定的に異なることがいくつかあります。
かつて統治者から国民や市民に向けられていた矢印は、今や逆に、市民から国家に対して向けられていることです。国の主権者は、私たち国民です。
フランス革命以後、あるいは活版印刷の登場といった情報伝達技術の進展によって、アーカイブは市民のためのものになりました。 私たちは歴史にアクセスする権利を持つようになったのです。
行政機関の意思決定基準やプロセスの透明性が担保されていなければ、主権者である私たちは、その内容の公平性や適切性を判断することができません。
アクセシビリティというと、障害をお持ちの方への配慮といったイメージが強い方も多いと思いますが、デジタル庁が取り組む「アクセシビリティの向上」は、民主主義国家の根幹を成す権利をしっかりと守ることも指しており、すべての人に影響する最優先・最重要課題なのです。