狂気の歴史
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簡単にいうと、色んなもので感じられる「狂気」と言語化されるものを歴史を踏まえて考えていこう!みたいな話
狂気がそれに代わって排除されるべきものとなったと彼は言う。狂った人間を舟に乗せて送り出したという15世紀の「阿呆船」は、文字通りその排除が一つの形をとったものであった。 阿呆船はいわゆる狂気に対して皮肉を言われてしまって、それが大衆にウケているというassumptionから「狂気」の受け取られ方の変遷を見出したということ? 「狂気の歴史」というタイトルは、決して自明のものではない。なぜなら、フーコーの目的は、精神疾患を医学的カテゴリーにおいて説明することではなく、西欧において変容してきた狂気の内実を歴史的な次元においてとらえることにあったからである。それは、彼以前の人間科学が歴史的実践をなおざりにしてきたことへの批判でもあった 関係ないけど、この文脈の持っていき方、それは批判でもある~なのはかっこいいtkgshn.icon*3
ルネサンス期には、狂気がきわめて豊饒なる現象として扱われるようになる。なぜなら、狂人とは、「人は神の理性(Reason of God)には近づきえない」という思想の体現だったからである。 神に近すぎたから〜で、否定の意味は入っていないということかtkgshn.icon*2i
西洋の中世に行ってみたいtkgshn.icon*4 18世紀には、狂気は、理性そのものを観察するかのように扱われるようになった。
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