情報の吸収量とサンクコストの関係について
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コンテンツを届ける上でサンクコストとスコープの設計は大切だなーと色々物書きをしていて思う。クローズドでコストも支払うものほどきちんと吸収してもらえるが当然接触範囲は狭い。広く届けると、読んで頂ける人は増えるが吸収率が低い、など。あとサンクコストは金銭や時間など色々な形態を取る。 マジでこれ、一時期Kindleで電子書籍を書いていたけど、かなり無駄な部分が多かった気がする。 あんなに文字数いらないでしょ、みたいなことを思いながらストーリーのために書いていくのは大変だ。
機能としてなのか、情緒としてなのか、自分が世界に配列するコンテンツはどの立ち位置なのか、それらはグラデーションなのでむずい。
リソースにサンクコストをかけるっていう概念は割とあると思っていて、時間・お金・労力…実際に会うのと、ビデオで会話するのと、本を読むのと、noteを読むのと、Twitterを読むのと、Lineをするの、これらの使い分けはものすごく難しい。
自我を出しすぎなのかな〜とも思う、人格を出さずにBotになる(私が取得する時には嬉しい。簡潔、短い、リソース主義、リファレンス主義)ネットワークとして利用するためにはある程度その配分が難しい、トラックと個人の文脈性がないとなかなか現実世界の武器になりにくい>個人の名刺的な?
情報は基本的にお金を取れるものにはなり得ないと思ってる。よっぽど希少性がない限り、それらはみんな共有するものなので。情報の発信を意識してる 情緒は圧倒的にリソースをかけられるもの。
届いて欲しい人に届かずに、「お前に言ってるんだよ!」と思いながら様々な比重でコンテンツを綴っていく…
/emoji/twitter.icon 書いてる量と読まれてる数がなんかイマイチあってない。実際 @inoue2002 と一緒に住んでて話しててたまにScrapboxを添付すると理解が早まってる感覚があるので、メディアの咀嚼速度に応じてデリバリーを変えるみたいなのは必要なのかもしれない。テキストはスケールするけど浸透しない。バランスする。 /emoji/twitter.icon シンプルに構造化された対話というものがスケールしないという話かもしれない。これはチャットUIや探索させるUI(例, TinderやTikTok、Scrapbox、Pinterest)とかとも繋がってくる領域かも。これらは範囲を決めないと今のところは役に立ってない。