中央集権の3つの軸
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・従来型の企業は、政治的に中央集権型であり(CEOが1人)、アーキテクチャ的にも中央集権型であって(本社オフィスが1か所)、論理的に中央集権型である(半分にすることはできない)。
・民法は中央集権的な立法機関に依存しているが、習慣法(コモンロー)は何人もの裁判官個人が下した判例で成り立っている。とはいえ、かなりの裁量をもつ裁判所も多いので、民法はアーキテクチャ的にある程度は非中央集権型の面をもつ。一方、コモンローは非中央集権型の性質がもっと大きい。どちらも、論理的には、中央集権型である(「法律は法律だ」)。
・言語は、論理的に非中央集権型である。アリスとボブが2人で話す英語と、チャーリーとデイヴィッドが2人で話す英語との間で合意はまったく必要ない。言語が存続するのに中央集権的なインフラストラクチャは不要だし、英語の文法規則はどこかの個人が作ったり管理したりしているわけではない(これに対して、エスペラント語はルドヴィコ・ザメンホフが独自に作り出した人工言語だが、今では自然言語に近くなり、管理当局のないまま段階的に発展をとげている)。
・ビットトレントは、英語と同じような意味で論理的に非中央集権型である。コンテンツ配信ネットワークもそれと似ているが、一つの企業によって経営されている点が異なる。 ・ブロックチェーンは政治的に非中央集権型で(管理者がいない)、アーキテクチャ的に非中央集権型である(どのインフラも単一の障害点にならない)。だが、論理的には中央集権型だ(統一的に合意される状態があり、システムは一つのコンピューターのように動作する)。