Panarchy
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1860年の論文で、デピューはパナーキーという考えを初めて提唱した。これは、各個人が現在の場所から強制的に移動させられることなく、自由に任意の政府の管轄権を選択(加入と離脱)する権利を強調する政治思想である8。[自由放任経済の支持者である8彼は、「政府競争」によって「これまでに考え出され、これから発明されるであろう、規則的に競合する政府の数だけ」同時に存在することができると書き、そのようなシステムがどのように実施されるかを詳細に述べている。デヴィッド・M・ハートが書いているように、「政府は政治的な教会となり、メンバーになることを選択した信徒に対してのみ管轄権を持つ」9。同様の考えとして、スイスの経済学者ブルーノ・フライとライナー・アイヘンベルガーが唱えた「機能的重複競合管轄権」(FOCJ)、ル・グランE・デイらが唱えた「多重政府」、ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』の「メタユートピア」の3つがある10 「国家から抜ける自由」だけは全国家が認めた世界、みんな幸せになれる気がする?人的資源を奪い合うために各国がより人気の集まる国になろうと努力して、各個人は自分の思想と合う国に移動する的な世界観
https://gyazo.com/d5d222ef970e4d85343331cd789c81d9
そろそろちゃんと調べるか。
国家の前提として徴税と人権保障が欠かせないと考えてきたのだけど、「permissionlessnessを武器に携えた公共論者」というアイデアを得てから発想の仕方が裏返った。Nature2.0と共に生きるということがそのまま「効率的で戦略的で個人主義的な国家にPanarchy環境で所属すること」と等価に見えてくる
社会-生態システムの議論で Resilience まではよくわかるのだけど、Panarchy はなんか違うと思うのは、空想が入りすぎなのと謙虚さが足らないこと。 レジリアンス論の入門書である、"Resilience Thinking"も、"Panarchy Synopsis”も日本語では読めない。