働く人のためのキャリア・デザイン
https://gyazo.com/461791f7b51e743a4720ce9a1d26fc5a
主たるターゲットはミドル層としているが、どのフェーズにいても気にせず読める、労働人生のための本
立脚する学問は発達心理学
2001年の本なので男性性女性性に関する記述や時代性は感じつつ
現代においてもまったく置き換え可能な考え方が多く参考になった
キャリアにおける節目節目でしっかりデザインせよ、が大きなメッセージ
むしろ節目にいない場合はドリフト(漂流)し偶発的なイベントが後にキャリアにつながればよいというスタンス
は、おそらく偶然性がほとんとであるといった立場だと思う
よく引用されるDホールのキャリア定義
キャリアとは、あるひとの生涯にわたる期間における、仕事関連の諸経験や諸活動と結びついた態度や行動における個人的に知覚された連続である
噛み砕いて本著では以下のように定義している
成人になってフルタイムで働き始めて以降、生活ないし人生(life)全体を基盤にして繰り広げられる長期的な(通常は何十年にも及ぶ)仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と(大きな)節目での選択が生み出していく回顧的意味づけ(とりわけ、一見すると連続性が低い経験と経験の間の意味づけや統合)と将来構想・展望のパターン」というのが、われわれ自身によるキャリアの定義である。
長い目で見た仕事生活のパターン
発達課題という言葉をはじめて耳にするひとがいるかもしれないが、人間の成長・発達が高校や大学で終わるのではなく、社会人になっても続くとするならば、成人になってからも、節目ごとに乗り越えるべき課題がある
人には発達課題が成人以降も存在するといった立場
人生の正午にはよりやりたいことを、というのは人生後半の戦略書でも触れていたような内容である 他者の声よりも自分の内面の声に耳を傾けることが、重要になってくる。気をつけなければならないのは、ひとはしばしば、自分が得意なことを、好きなことだと勘違いしてしまうことである。これはそう考えると短期的には都合がよいためであり、はまりやすい 罠 である。
得意なことイコール好きなことだと短絡してしまうと、「便利屋」にされてしまうので、注意がさらに必要だ。
「なにがほんとうのところしたいことなのか」という問いは、けっこう難しい問いだ。
本書では端々にエクササイズが登場する
そういった意味で内面からの問いかけは重要
内面からの問いは、夢を伴っていなければならない。夢は、キャリアを考えるときのキーワードのひとつであり、この後も随所で姿を現すことになる
本書の主軸に据えているのはナイジェルニコルソンのトランジション理論のモデルである
https://gyazo.com/f2d7df1868e84f248ea739159aca2139
人事部や人材開発部のスタッフ、それから部下のキャリアの相談にのるラインの上司は、トランジション・サイクル・モデルを使って、自分の経験を自己診断してみるだけにとどまらずに、つぎのエクササイズに見るような問いを、異動のための面接や研修の場面、OJTの場やMBO(目標による管理)の目標設定の場などで、当事者や部下に考えさせてみるようにしてほしい。
節目をデザインするのは自分だけ
(1)キャリアの節目のデザインは、自分で選び取るということ。
(2)節目にさしかかるとき、あるいは、人生そのものが、他のひとたちとのつながり、相互依存のなかに自分がいるということ。
ミドル層の発達課題
中年期の発達課題のひとつは、後述するように、生殖性もしくは世代性(generativity)である。人生の半ばあたりで疲れて足踏みするのではなく、あらためて自分にとっても意味のあることで、より若い世代を 育むのに役立つような仕事を継続して成し遂げることができるかどうかが、このころに問われる。それをクリアすると、そのひとには、世話(care)という強み(美徳)が形成され、世代間に有意義なリンクが生まれるが、それができずにいると、四十代にして停滞してしまうことになる。
過去のベスト・ジョブを思い浮かべて、もうそれ以上のことはできないと言って、干上がっていくひとが出るのがこの発達段階である。そうではなく、これからは、若手と共同研究しながら彼らをきちんと育成したり、あるいは、この研究所で研究するひと皆に今よりも創造的な研究環境を提供するために、積極的に研究開発のマネジメントに携われるようになったら、そのひとは、生殖性、世代性という発達課題をクリアしたことになる。そして、そのようなひとにしかできない深いレベルの「世話」「面倒見」(care)という美徳を身につけることになる。
昇る太陽の時期の間は、その軌跡をきちんと自分が登り切れるかどうかだけに躍起になっているので、より若い世代の育成に真剣に取り組めない。「オレがオレが」の時期の忘れ物がある。それこそ育成のテーマだ。より若い世代の面倒をきちんと見ることが、実は自分の発達にも有意義だと心より感じることができたときに、そのひとは、この段階を真にクリアできたことになる。
中年の時期にもう一度アイデンティティ(自分はいったい何者なのか)という重く深い問いが立ち現れてくる、といったあたりになるほどそうですね、と頷きがあった