第七十七回:瀬下さんと『ライティングの哲学』と『すべてはノートからはじまる』について
第七十七回:瀬下さんと『ライティングの哲学』と『すべてはノートからはじまる』について
瀬下(せしも)さん
倉下忠憲『すべてはノートからはじまる』感想メモ(瀬下作成)
1. 本書全体について
伝統的な情報社会論や道具論的な構図
いろいろなツールに囲まれつつ手綱を握るのは自分
ビッグデータに振り回されるのでない
哲学的な背景や人間観
ボトムアップに行為から習慣、人格、社会を改善していくことへの希望
梅棹-川喜田らのプラグマティズムと似ている
ライティングの哲学は千葉さんの精神分析系の話が非常に強い
しかし倉下さんの本は違いそう
書籍内の千葉さんへの言及にもかかわらず
デューイの経験論とかかなり近そう
2. 各章ごとで印象に残った部分
1章:総論
ノートを使うが不真面目=規範は立てるがしたがわない=自由に使う
それが自分なりに人生をひらくことになっている
2章:意志と決定のサポート
フランクリンの功罪表
ぶっちゃけ間違っててもなんでもいいのおもろい
少し冷静になる
記録から記憶を思い出すシステムの存在そのものが大事
3章:行動とタスク管理のサポート
コントロール感、所有感、進捗感をつくる
気の持ちよう的なところに強いフォーカスが
ライティングの哲学とも共通してそう
ノート法は自分なりに編み出す必要がある
この意識は所有感への着目ともかかわるはず
ノートは拡張身体みたいなもんだから、自分が使いこなさないと意味ない
4章:思考や発想のサポート
無理矢理出させる系が多いのがいい
マンダラート:思いを押し出す
5章:読み書きのサポート
越境装置としての本=ノート
6章:共有のサポート
書かれ読まれるノート
メディアとしての機能
5章のあとに置かれる意味がある章
5章の書かれるノートとしての本と対比的
あくまで自分のためのノート、それを結果的に他人にシェアする
5章では本を自分のものにしたが、この章ではノートを他人に渡す
本として読まれるノート
コンビニ話アツい
7章:未来と社会のサポート
役立たないことと不真面目なことと孤独と自由とがノートを通じてつながる世界観
セルフヘルプから自分を知り自分を超えるセルフスタディーズへ
3. 関連しそうな話
いわゆるマニュアル的でないとダメ、あるいは事例が豊富でないとダメって感想もあった
倉下さんの本は、方法を自分なりに実行してみることが可能だという意味で十分具体的と思う
たとえば、技法の空欄部を埋めるとか明確にそれを促すようなデザインもある
パターン・ランゲージおもしろいかも
パターン・ランゲージは、目指す方向性を掲げる「ミッションの提示」と、行動を追うことで誰でも間違いなく再現できるようにする「マニュアル(手順書)」の間にある方法と言えます。この3つは目的が違うもので、パターン・ランゲージは「その方向に向かうために、自分はどうしたらよいのか」を考えるための素材となり、ミッションとマニュアルをつなぐ「中空の言葉」と表すことができます。パターン・ランゲージは、実践知を抽象的すぎず具体的すぎないように書くことで、ある程度のやり方を提示しつつ、個々人の手元でのアレンジの余地を残すようになっています。そのため、パターン・ランゲージを使った学びは、目指す状態になるために(問題を解決するために)どうしたらよいかは分かるけれど、具体的にどう行動に落とすかは自分で考えてやってみる、ということになります。また、それをどう具体化するかに決まりはなく、どのような具体化であっても本人にとっては正解です。そのため、その人自身を活かした自己肯定的なチャレンジが積み重なることとなります。このように、「どうすればいいか」が抽象的に書いてあることで、そのパターン(コツ)を親として無数の具体例が紐づくこととなります。また、すでにある無数の良い実践を、「どう良いのか」という本質を軸として整理することもできるようになり、日常から事例を拾い出していくことも容易になります。これを「認識のメガネ」を持つといい、パターン・ランゲージを使うことで成長が加速する一つの理由でもあります。