教え方を、教えながら学んでいく
親は、子どもに教える。教えることができる。でも、それはどこまでが責務だろうか。責務だとして、何をどこまで教えればいいのだろうか。
二つ思うことがある。
一つは、子どもに何かを教えるのは、親だけではない。いや、子どもは親以外からもたくさんたくさん学んでいく。親は、自分で教えることもできるが、子どもがそうして学ぶことを妨げない(あるいはいっそう促す)形でも、間接的に教えることができる。むしろ、人間ひとりが教えられる領域と、それ以外の対象から学べる領域を比べれば、後者の方が圧倒的に広いと言えるだろう。
もう一つは、仮に子どもが生まれた時点で、「教えることができない」にしても、その状態がずっと継続するわけではない。むしろ、子どもとのやりとりの中で「教え方を学ぶ」ことができるだろう。子育てという経験の中で、親というひとりの人間も成長していけるのだ。
ここから総合的な一つのことが言えると思う。
ある状態で静止したひとりの人間、だけで問題を抱え込もうとしないこと。
親も子どもも人間であり、それは動的に変化していける
人間は社会的な動物であり、その環境全体を含めて人は変化していく
Koh_Sayato.icon親が教えられない、うまく伝えられないものがあって当然で、その至らなさにとらわれると、最も大事なことを教えられなくなる。