知的消費をしないと知的生産をしないのか?知的生産をするから知的消費が起こるのか?
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ニワトリと卵みたいだけど何がきっかけでサイクルは回り始めるのだろうか?
そして原始的な知的活動とは何だろう。
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直接題字の質問に答えなくて申し訳なかったりするのだけど、サイクルを回す因子ってことで思い付いた2つというのが「憧れ」と「フィードバック」だった。
maro_draft.iconフィードバックはすでに経験していて、その結果を次に反映すること。次というのが次回という時もあるし、一瞬後ということもある。知的生産過程でのフィードバックは思考が次の思考の補助線になるようなことに当たるのかなぁ。
憧れは目標的な意味合いだろうか?それともフィードフォワード的な意味合いだろうか?
ikkitime.icon「憧れ」の対象やイメージがあるということは、動機付けの意味合いももちろんそんなんだけど、「“あんな風に”うまくできるようになりたい」という中間目標が絶え間なくできることになるので、そういう意味でも大きいかなと。
フィードバックも、「褒めてもらえてやる気出る」も大きいけど、「今回のチャレンジは、“ここ”がよかったね〜」って言ってもらえたら、そこも強く効いてくると思います。
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フィードバックも自身でのフィードバックと他者からのフィードバックがあり、フィードフォワードも自身でのフィードフォワードと他社からのフィードフォワードがあって、それぞれがどのように作用するかは興味深いです。
憧れは自身のフィードフォワード、褒めてもらうとかは他者からのフィードバックにあたるのかも。