知的生産は何を示すのか?
生産ということは、生産物がある。
ここでの生産物は何になるのだろう?
ikkitime.icon新語として作成された段階では、商品価値があるか、文明の生成発展に貢献できる(≒後代に残る)ものだという定義だっただろうとは思う。「4象限の3つ目を考えてくれ」ということだったろうから。
ただ、そのカテゴリーがある程度自律して存在するようになると、もう少し範囲は広くなっていいように思う。「生物種としての人が、その武器である思考力や判断力を使って、なにかを考えること」全般を、その生産プロセスとして扱えるのではないか。
そうすると、「買い物する」みたいな「行動」が「生産物」だったとしてもいいことになる。
また逆に、普通にしていたら流されたり煽られたりして、「してしまったであろう行動を、せずに食い止めた」というのも、その「生産的活動」に含められてきそうな気がする。
そして、そこからグラデーションしていって、起きたこと、見えているもの、言われたこと、やってきたことに反応して判断しただけ、というところまで地続きでつながっていくことになる。
分かれ道があって、右には水が、左には飼い葉桶があって、どっちに行くかを決める
腹が減ったという体感からの刺激があって、何を食べるか決めて、それを食べる
茂みから物音がして、身をすくめ、そしてそのまましばらく息をひそめようと決める。
この辺の例になると、梅棹原典では範囲に含めてくれなさそうだ。
まあ、我々も含めなくていいとは思う。あれこれ考えるのが好きな、私達の関心範囲としては。とはいえ、グラデーションで道が続いていることもまた、確かだと思う。
maro_draft.iconグラデーション。たしかに色んなこときっちり区切れるわけではないよね。物的生産をサプライチェーンとすると、エンジニアリングチェーンは知的生産のひとつともいえるかも。
バリューチェーンが、デマンドチェーン・エンジニアリングチェーン・サプライチェーン・サービスチェーンの4つからなるとするとデマンドチェーンやサービスチェーンは生産とはまた異なるものに該当するのかな?