『おわったー!」を感じるには
どうしたら『おわったー!』感とほんとにちゃんと終わってる感を持てるのだろう。だんどり?
maro_draft.icon「おわった」と感じるというのは、自分のイメージだと50m走やマラソンでゴールを抜けた時のようなものだと思っている。
スタートしてゴールを意識しつつゴールテープを切る。50m走のような短い場合は、ゴールだけ意識して走れば良いだろうし、マラソンのような長距離は10kmや20kmなどの中間点を意識して走ることになるだろう。
当たり前だが前提としてゴールが動かないからできることでもある。もしゴールが50m地点から100m地点に動いたり、全く別の位置に突然動いたとしたらゴールを目標にすることは難しい。
でも仕事だとゴールが動くことはよくある。ゴールを決めているのは自分だけではなく関係する人ということが多く、状況変化でゴールも変わってしまう。
ではどうしようもないかというとそうでもない。
50m走では行動のゴールと状態のゴールが一致していた。だから行動の完了=状態の完了であった。
仕事ではゴールが動くことがあるといったがこれは状態のゴールであり、自分が決めた行動のゴールではない。行動の完了と状態の完了が一致しないということである。
まずはこれを認識した方がいいとおもう。
行動を全て完了しても状態の完了ではないからこそタスク(Do)とプロジェクト(Be)を分けて考える。
そしてゴールが動かないタスク毎にきちんとゴールを決めて終わりを確認する。
例えば「報告書を書く」といった場合、報告書は上長の承認をもって完了となる。単に自身が書き上げても受け取られなければ完了とならない。
報告書を書き上げるまでは行動になり、上長の承認は自身の行動ではなく状態の遷移待ちになる。
全ての行動は完了しタスクリストに残タスクはないが、プロジェクトは完了していない状態ということ。これを「終わっていない」と捉えるか、「やることはやった、あとは待ち」と捉えるかで終わった感は違うのかもしれない。
行動の完了と状態の達成を区別して、終わった感を感じられるといいなと思う。
ikkitime.iconいくつか考えてみる。
1.
「脱線に対応できるリスト」ってことになると、
“今日の予定のうち、時刻に縛りのあるタスクの一覧、時刻順”
と
“時刻に縛られていないけど、やらなきゃならないこと、優先度順”
⇒非予定のタスクの最重要なものがひとつでも2つでも消せていたなら、まずは自分をほめる。
2.お祝い的なもの。
⇒意外とそういう動作が大事なように思う。
究極的に、人を不幸にしたり、時間感覚を失わせたりするのは、「今やらなければ全てを失うかもしれない」という不安や焦りの感情だと思う。
そのイリュージョンをしぼませて落ち着くためには、楽しんだりゆっくりしたりする必要があるけど、その比較的とっつきやすい第一歩がこれなのかもしれない。
3.
これの話だと、まずは合格基準点が高すぎる。「そんなことは誰でもできない」「みんな同じように内心では苦しんでる」みたいなメッセージが、陳腐だけど救いを生むかもしれない。
もう一つ、ロールとかモードとかの、役割の終わり目って、ある物語から別の物語へと、自我を引き抜かないといけないことになる。
これが、“裏切り感”というか“後ろめたさ”を生むことになる。
理性の定めた新しい価値観を、感情による古い価値観が裁くことになる。
だからここでは、おそらく、別格の儀式が必要になるのだろうなあ。違う自分へのバトンタッチとか、明日の自分のシミュレーションとか……。
maro_draft.icon以前にも同じようなことを呟いていた。