規格化論争
ムテジウスは芸術の産業化を目指し、綱領を起草したが、強い反発があり、この論争によってムテジウスはドイツ工作連盟において求心的な位置を失うことになった。
ムテジウスによる綱領の第一のテーゼは次のとおりである。
建築およびその他すべての工作連盟の活動領域は、規格化(Typisierung)へと進んでいる。規格化によってのみ、これらの領域は、調和のとれた文化の時代に備えていた普遍的な意味を取り戻すことができる。
工作連盟に芸術家がいるかぎり、そして彼らが工作連盟の運命に影響を及ぼしているかぎり、彼らは、規準や規格化の如何なる提案にも反対するであろう。そもそも芸術家は、深奥の本質から熱烈な個人主義者であり、自由で自発的な創造者である。
(同上、p.177)
この論争について、藪亨は、以下のように論じている。
藪は、ムテジウスの主張については「産業とデザインのその後の展開は、規格化・標準化に関するムテジウスの提言が先を見越した卓見であったことを証明していった」と評価する。だが一方の芸術主義的なデザイナーたちは、この規格化論争を契機として工業時代の進展に危機感を覚える。彼らには「工業の諸問題が、人間性回復への諸要求を抑圧してくるように思われた」。ムテジウスはモリスの信奉者であり、労働を肯定する契機を必要としていたため、工業組織のなかに労働の喜びを見出そうとし、「労働仲間の協同感の高揚や、機械を支配する充実感にこれを見出し得ると考えた」が、「機械は逆に人間を使役する可能性をいよいよ強めていた」。
つまり、一方には「手仕事に基づく芸術」があり、他方には「機械に基づく工業」があり、これらはそのままバウハウスにおいても二律背反する課題となっていった。 杉本俊多は、Typesierungの訳語は「類型化」であるべきだとする。 Typesierung, この概念は規格化(Normierung)の概念と重複する部分があるが、基本的には異なるものである。例えばドイツ工業規格(DIN)といった規格化とは異なり、類型化には工芸品を美的にも一定の方に統一するという意味が含まれている。
杉本の主張では、この論争の主題は規格化(類型化)そのものの是非にあるのではない(後にヴァルター・グロピウスも類型化について肯定的な見解を示している)。 このケルンにおける大会は1914年7月2日〜7月6日に開催されており、同年6月28日にはサラエボ事件によってすでに第一次大戦が始まっていた。杉本は、ムテジウスの「類型化」の必要性についての主張は、芸術産業の輸出を目的とし、第一次大戦におけるドイツの経済的覇権主義と同調するものとして受けとられたであろう、と論じている。
グロピウスを含む数人のグループがムテジウスの見解にたいして反対にまわり、その際にヴァン・デ・ヴェルデをかつぎだすことになった。
反対派のテーゼ5は以下のとおりだ。
様式の生成よりも以前に、ある類型を生まれさせようとする欲求は、まさしく原因よりも以前に効果を満たいとする欲求に等しい。(同上 p.89) このテーゼは、ムテジウスの「規格化(類型化)によってのみ...調和のとれた文化の時代に備えていた普遍的な意味を取り戻すことができる」という主張が、因果関係を逆転したものだと言っている。類型化によって様式(=時代の調和)が生じるというムテジウスの主張を逆転させると、様式こそが類型化の基礎になるというのが、ヴァン・デ・ヴェルデらのグループの主張である。杉本は、以下のように論じる。
類型よりも様式が優先しなければならない、という反対テーゼの意義は、後にグロピウスが、類型化の基礎として手工芸を置いたことと比較してみれば、さらに明瞭となる。ここでは様式は、二十世紀初頭の「時代精神」の言葉とパラレルな関係にある。
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藪の論考と杉本の論考はどちらも1979年に書かれたものだが、杉本の論考のほうが包括的な処理をしているように見える。
藪はこの「規格化論争」について、「芸術(手仕事)」と「工業(機械化)」の相克であり、後のバウハウスの諸々の展開に内在する弁証法的な力の現れとして把握する。だが、この弁証法は、バウハウスの変化(表現主義的性格が濃かった第一期から産業への視線を向ける第二期への移行)の説明としては使えても、当事者たちが解決策の模索がされていなかったように見える。このように把握するかぎり、バウハウス運動とは内在的に破綻する種を抱えたまま然るべくして崩壊した運動だ、という理解になるものとおもわれる。
杉本の論においても、この論争の基本的性格が「芸術」と「工業」の相克であることは変わりないが、ヴァン・デ・ヴェルデやグロピウスらの反対テーゼは、それらを発展的に解消するためのアイデアの基礎になっているという解釈があり、それがバウハウスにおいて展開される、という筋書になっている。杉本の理解するグロピウスの考えは、「芸術」をもとにして「様式」が生まれ、この「様式」を基にして「類型化」をおこなう。類型化こそ工業時代のデザインの課題であることはムテジウスの主張の通りであるが、これを達成するための過程には、芸術を廃棄するのではなく、発展させなければならない。