口承文芸
物語論
柳田國男の読者文芸論を踏まえ、伝承が暗記ではなく、その都度の生成であることを理解する。昔話は暗記ではなく、内在する形式や論理によってその都度語られる。性部屋年齢によっても同じ話を聞いても受け方が違うので受け手に受け手によって話のdetailが変わる。昔話は発端句、結末句によって虚構として閉じられる形式である。また対話的・集合的な物語の語られ方があり、作者は必ずしも単独ではない。
作者と暗誦者の地位はまだいたって近い。(中略)群が作者であり作者はただその慧敏なる代表者に過ぎなかった古い世の姿は、今もそちこちに残り留まっているのである。口と筆との二つの文芸が、截然として枝を分かって進むもののように、考えてしまうにはまだ少し早いかと思う。
出典: 柳田國男(1947)『口承文芸史考』中央公論社。
古事記に於ける暗唱
稗田阿礼が読み習した口承伝承群の伝統者が作者、天皇も群れとしての作者・集団的作者の一人と言える。
作者と暗唱者
口頭構成法
昔話の伝承者がここの昔話を暗記しているのではなく検索システムによってその都度語り直す事例について知る。また、説教節というこうとう芸能の伝承を元に、暗記ではなく決まり文句のデータベースを使った即効的語りであった。
波大野ヨスミは600語を超える昔話の伝承者でタイトルや場面で想起したり、印象的な決まり文句で覚える。
説教節は中世から近世に流行した口頭伝承による民間芸能
口頭構成法 oral composition
「テーマ」に応じて「言い回し」(フォーミュラ)のデータベースからその都度サンプリングされ語られる。結果として類似した「語り」が再現される。発案・検証した研究者にななみ「パリー=ロード理論」と呼ばれる。山本吉左右によって瞽女歌・説教節など日本の民間芸能に適用された。
テーマ 物語全体の主題というより類型化された短い場面
フォーミュラ 物語中のテーマ(主要な概念)を表現するために、サンプリングされる言い回し
『竹取物語』の発端句
平安前期・9世紀後半から10世紀前半頃成立。『源氏物語』に「物語のいできはじめのおやなる竹取の翁」ことから「物語の祖」とされる。
いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。
野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事に使ひけり。名をば、さかきの造(みやつこ)となむいひける。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『竹取物語』上、
昔話の発端句、結末句があった。
発端句の機能
受け手・送り手の合意
語り手:「さるむかし、ありしかなかりしか知らねどもあったとしで聞かねばならぬぞよ」
聴き手:「うーむ」
これから語ることが虚構であることを語り手が宣言し、受け手が承認する。
「嘘」としての昔話
「あったげな」が発端句としては西日本では多いが、そこから昔話を「げなげな話」と言う。
「げなげな話」は**「嘘」という意味**で使われることもある。
禁忌としてのフィクション① 昼むかし
昼むかしを語ってはいけない、つまり昼間に昔話を語るなというタブーが全国各地にあった。
しかもそれは世間話など事実譚には適用されず、昔話に限られたタブー。
昼むかしを語るとねずみに小便をひっかけられる。
昼間、昔話を語ると鬼に笑われる。
禁忌としてのフィクション②『源氏供養』
仏教では「物語」とは嘘だからつまり「罪」だと考えられた。
それ故『源氏物語』を書いた紫式部は、
「狂言綺語を記して好色を説いた罪」で地獄に落ちたともされる。
それを供養するのが「源氏供養」。
能の演目としても知られ、三島由紀夫も作品化した。
作者と語り手
作者と暗誦者の地位はまだいたって近い。
(中略)群が作者であり、作者はただその慧敏なる代表者に過ぎなかった古い世の姿は、今もそちこちに残り留まっているのである。
口と筆との二つの文芸が、截然として枝を分って進むもののように、考えてしまうにはまだ少し早いかと思う。
出典:柳田國男(1947)『口承文芸史考』中央公論社。